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探偵、役人、犯罪者——米澤穂信『Iの悲劇』感想

Iの悲劇 (文春e-book)

 米澤穂信『Iの悲劇』を読みました。以下感想。物語の結末に触れています。

 山間部、3つの自治体の合併で誕生した南はかま市。その辺境、廃村と化した一画である蓑石に、Iターンで人を呼び込もうという政策を担う、南はかま市「甦り課」。喫煙で時間をつぶし定時に帰宅することしか関心のなさそうな課長、市職員に似つかわしくない軽さをまとった後輩にかこまれ、なんとか業務を遂行する男は、移住者たちの引き起こすトラブルの解決に奔走することになる。

 おそらく米澤の出身地である岐阜県自治体にかさなるであろう架空の自治体を舞台に、市役所職員が遭遇するいざこざを、連作短編の形式で描く。米澤という作家は、ミステリというジャンルを主戦場としながらも、「探偵」なる装置を描くにあたってある種のてらいを保持し続けている。デビュー作の『氷菓』においては高校生を主役に据えることで、職業としての探偵を書くことを回避し、また『犬はどこだ!』で職業探偵を語り手に置いても、そのありようは所謂名探偵とは一線を画するものだった。『満願』においては探偵的な装置をテクストからほとんど排除した結果、全体としてホラーのような雰囲気が漂うことになっていた。

 この『Iの悲劇』においても、語り手は市の一職員であり、装置としての探偵の役割を果たすことはない。それはある意味で『満願』の延長ともいえるだろう。あるいは『春季限定いちごタルト事件』の主人公たちが「小市民」を名乗ることを想起すれば、「小役人」のささやかな冒険譚とみてもよいのだろうか。無論、職業人たる『Iの悲劇』の語り手は、「小市民」的な「思春期の全能感」の問題系とはすでに切れているのだけれど。

 さて、そうした探偵をめぐるある種の葛藤以上に、この作品は米澤がこれまでテクストのなかに微かに、あるいは確かに書き込んできた問題系を正面から取り扱った作品である、という点に大きな意味があるだろう。その問題系とは、端的にいえば非-都市としての地方の問題、あるいは社会的な意味で生じる地理上の勾配の問題である。

 デビュー作の『氷菓』から続く〈古典部シリーズ〉の一作、『遠まわりする雛』のなかで、少女にこう語らせる。

「ここが私の場所です。どうです、水と土しかありません。人々もだんだん老い疲れてきています。山々は整然と植林されていますが、商品価値としてはどうでしょう。わたしはここを最高に美しいとは思いません。可能性に満ちているとも思っていません」

  最高に美しい場所でもなく、可能性に満ちているわけでもない場所。歴史の黄昏時を迎えつつある土地の運命は、この言葉が語られた時間、すなわち夕暮れ時とも重なり、はかなくも美しい時間がここに立ち現れる。しかし彼女は、この場所こそが私の「終着点」だと引き受けるのである。この〈古典部シリーズ〉の舞台、神山市もまた、米澤の出身地である飛騨高山をモデルにしていると読める描写が散見され、その意味で『Iの悲劇』とオーバーラップするのだが、上記のフレーズもまた同様に、簡潔な仕方でパラフレーズされる。

「いい見晴らしだ。けど」
と、西野課長は言った。
「絶景とはいえないね。たいして美しくはない」*1

 甦り課の長、西野はいかにも昼行灯的な雰囲気をただよわせているが、第1章の事件の結末で見事に采配を振るい、これはどうやら『機動警察パトレイバー』の後藤喜一の系譜上にいる人物らしい、という感触が漂う。しかしこの作品の語り手のおもしろみは、上記の出来事のあとも特に西野に対する評価を改めた様子がないことで、後藤喜一の切れ味はあくまで視聴者目線で感受されるものであって、周囲の「普通の役人たち」にとっては依然、怠惰な上司に過ぎないということか。

 閑話休題。結局この寒村で生じた悲劇の数々は、剃刀のごとき市の火消し役の意図によってプロデュースされたものであったことが結部で明らかになる。それは、語り手の弟が「たいした産業もないのに税金を呑み込む深い沼」*2と形容する南はかま市にあって、さらに莫大なコストをかけなければ維持できない場所を徹底的に切り捨てるための生存戦略であり、「甦り課」の真の使命は蓑石をよみがえらせたのちに滅ぼすことであった。ここで役人の仕事の領域は、探偵というよりはむしろ犯罪者に近接してゆく。

 「撤退戦」を生きるリアリティとはこういうものだ、ということを書き込んでみせた誠実さは、〈古典部シリーズ〉の千反田えるの宣言へのアンサーとして読んでもよいだろう。千反田自身は、最新作においては、そこを「終着点」と定める必要はないのだ、という親心によって、また別の問題系と対峙しなければならない状況へとフェイズが移ったとみてよいだろうと思うが、それでも老い衰えゆく場所との対峙の仕方は、いくつも書き込まれてよいだろう。

 老獪な西野に対して、語り手はいかにも素朴である。とはいえ、探偵足りえない小役人にも、小役人としての矜持があり、それは極めて率直にテクストに書き込まれてもいる。

人はどこに住んでもいいし、何を幸せと思ってもいい。他人を害さなければどこでどんなふうに生きてもいい。生きてもいいことを具体的に保証するのが俺の仕事だ。俺は市職員を、人生を賭けるに値する仕事だと思ってる*3

 語り手によるこの決意表明は、「甦り課」の真の役割が明らかになったあとどの程度ゆらいだのか、それは定かではない。「思春期の全能感」をすでになくした大人たちの良心のありかと、それがほとんど意味を持ちえないのではないかという諦観、しかしそれでも公僕の素朴な使命感にも信を置かんとするこの態度を、わたくしは全面的に信頼したいのである。

 

 

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Iの悲劇 (文春e-book)

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満願(新潮文庫)

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*1:p.324

*2:pp.242-3

*3:p.245