宇宙、日本、練馬

映画やアニメ、本の感想。ネタバレが含まていることがあります。

運命の成就、そのあとで——『劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト』感想

【Amazon.co.jp限定】劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト 劇中歌アルバムVol.2(メガジャケ付)(3商品連動購入特典:「ミニ舞台挨拶風AR動画つきカード」引換デジタルシリアルコード付)

 『劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト』をみました。このあいだダッシュで予習した甲斐があったと思える見事な映画だったと思います。以下、感想。

  あのトップスタァの座をかけたオーディションから一年。舞台少女たちはそれぞれ進む道を選び、学園という箱庭から飛び立とうとしていた。しかし、幼いころからの友人との約束を果たし、そしてその友人が海の向こうへ一足先に旅立ってしまったことで、舞台少女愛城華恋は、自分の道を見出せずにいた。そんなとき、キリンの声に導かれ、正気と狂気が同居する奇妙なレヴューの幕が、再び開く。

 テレビアニメ『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』の続編にして、おそらく完結編になるであろうこの劇場版は、おおよそ明確な筋をもたず、奇天烈極まる舞台装置が次々と現れるなかで、キャラクターたちが入れ替わり立ち替わり躍動し歌う、ちょっと尋常でない映画になっている。

 テレビシリーズから、決闘ゲームのごときオーディションにそれほど葛藤なく少女たちが参加し、作品世界のリアリティのレベルは容易につかみがたいものであったが、この劇場版ではさらにそのリアリティの手触りが奇妙なものになっていて、キャラクターも変幻自在に演技と素顔とを往復し、こちらを翻弄してみせる。テレビシリーズでは類型的で微温的な関係性にやすらっていた舞台少女たちに、改めて(キャラクターにあえて泥をかぶせることも厭わずに)その関係性の問い直しを演じさせてもいて、それは非常に誠実な所作であると思う。

 現実から隔絶した舞台でのレヴューと、それなりに地に足のついた愛城華恋の過去の描写とが混淆しているさまは明白に不調和をきたしているという気もするが、しかしその程度の不調和などものともしないルックの強烈さで有無を言わせず映画の時間を支配している。アルチンボルドへの明白なオマージュに代表される、美術の奇矯さはテレビシリーズとは明らかに一線を画していて、また変形する列車やきらきら輝くデコトラなどなど、劇場という空間に我々を拘束しているのをいいことに繰り出される馬鹿馬鹿しいガジェットの数々は、しかしそのマジっぷりによって異様な迫力をもつ。

 そうした奇矯な時間・空間を演出する一方で、この映画は極めて真摯にキャラクターに向き合ってもいる。絶えず進む列車=時の流れに対して、舞台少女=キャラクターはどうありえるか、という問い。この劇場版はほとんどそれに対するアンサーに尽きるといってもよい。テレビシリーズにおいて「運命」を見出し、そのことによってもはやキャラクターとしてのドラマを決着させてしまった主人公、愛城華恋。運命を成就させてしまったキャラクターは、そのあとに何事かをなしうるのか、という問いは、この『レヴュースタァライト』の作品世界を超え、あらゆるフィクション、とりわけキャラクターを売りにするコンテンツにとってクリティカルなものであるだろう。

 その問いへの答えは、極めて楽天的である。これはテレビシリーズにおいて「再生産」であること、「再生産」でしかありえないことの意味が極めて楽観的に語られたことと似る。「レヴュースタァライト」を「演じきった」として、彼女たちにはまた別の舞台がありうるのだし、そうして作り手の意思を離れて、作り手の意思など関係なしにまた新たな関係を紡ぐのだろう。それが、テレビシリーズから3年という時間のなかではぐくまれた、運命への祝福なのかもしれない。

 

関連

amberfeb.hatenablog.com

 

キャラクターに誠実に向き合うこと、という意味では、『シン・エヴァ』と重なるのかもしれません。

amberfeb.hatenablog.com