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夜のしめりけ――『親密さ』感想

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 池袋は新文芸坐で『親密さ』をみました。これで『ドライブ・マイ・カー』への助走は十分ってわけです。以下感想。

  2011年2月。演劇「親密さ」の上演に向けて準備をすすめる劇団。脚本の男と演出の女は、プライベートでもパートナー関係にあるようだった。どうにも歯車が嚙み合わないようにみえる劇団員たち。朝鮮半島の情勢が一気に緊迫化したというニュースも飛び込んでくる。そして、舞台の幕があがる。

 『ハッピーアワー』、『寝ても覚めても』の濱口竜介が監督をつとめ、2012年に公開されたこの映画は、上映時間4時間15分、二部構成の大作。前半部では公演準備をすすめる様子が映され、後半部で演劇そのものがまるまる映し出される。どうやら朝鮮半島で内戦が勃発し、日本列島でも義勇兵募集の噂が飛び交う偽史的時空を舞台としているような調子があり、劇中の日付から容易に連想されうる2011年3月の出来事は、明示的に言及されることはない。

 同じく超長尺のインディーズ映画である『ハッピーアワー』とくらべると、人物の出入りが少なく、また舞台も限定されているのでかなり窮屈に感じられる。とりわけ後半部は、結部を除いてずっと小劇場が舞台なので余計に。意図的か機材の制約なのかは判断できないが、登場人物の声もあまり明瞭に録音されていない場面が散見され、それも密室の窮屈な感じを強化しているかもしれない。ただそうした限定空間で、大胆にカットを割り切り返しを多用して、なんとか場を持たせてしまうのは流石の手腕でしょう。

 『ハッピーアワー』と同様、俳優の顔の切り取り方は見事というほかなく、前半部で弛緩した表情がしばしば切り抜かれていた若い役者たちが、後半では見事に役者として仕事を全うしているという、このギャップが大変におもしろい。

 異空間と化した劇場からカメラが現実へと帰還して結部のシークエンスが始まるわけだが、しかしその結部が圧倒的に映画であるのもおもしろい。『ハッピーアワー』でもしばしば印象的な場面の舞台となった駅のホームがここでもドラマの舞台になる。朗読の場面といい、いまみると『ハッピーアワー』に向けた習作という気配もある。

 何かを託して走り続ける列車の分岐は、これからも続いてゆく彼女ら・彼らの人生の暗喩でもあるのだろうし、それは『ハッピーアワー』、『寝ても覚めても』のラストの感触に似るが、『ハッピーアワー』のほとんど湿度ゼロのドライさと引き比べて優しげなウェットさを感じもする。『ハッピーアワー』の長い時間は、だんだんと世界の空気を乾燥させていくためものだったのかもしれない。『親密さ』は長い時間をかけてなお、夜の湿った空気を保ち続ける。そのえもいわれぬウェットさが、この映画の味なのかもしれない。

 

 

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