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冷戦の長い影―—ナオミ・オレスケス、エリック・M・コンウェイ『世界を騙しつづける科学者たち』感想

世界を騙しつづける科学者たち 上

ナオミ・オレスケス、エリック・M・コンウェイ『世界を騙しつづける科学者たち』(原題: Merchants of Doubt)を読んだのでメモと感想。

 本書は、タバコの健康被害地球温暖化問題に対して、ある科学者たちのグループおよびシンクタンク懐疑論を強く主張してきたことで、その対策が後手に回ってきたことを、それぞれのトピックについて丹念に資料を狩猟して跡付けている。

 邦題がほんとうによろしくなくて、これでは陰謀論のたぐいをぶちあげた本だと誤解されても仕方ないのでは、と心配する。わたくしもTwitterで好意的に言及されていなかったら手に取ることはなかったろうし。現代は本文中では「疑惑の商人たち」とあり、商売上の戦略でこうなったんだろうとは思うのだけど。

 それはさておき、一部の科学者が懐疑論を売り込み流布していったのか、その機制にはある種の普遍性があるように思えて、それが本書を読んでとりわけおもしろかった部分です。一言でいえば、それは科学的手続きの誠実性によって生じたセキュリティホールにつけ込むようなものだといえる。

科学にとって懐疑は重要だ。好奇心、あるいは健全な懐疑と呼ばれるものなら、それは科学を前進させる力になる。しかし、懐疑によって科学は、虚偽の主張に傷つけられやすくもなる。なぜなら、不確実な部分を文脈の外に取り出して、すべてが未解決だという印象を作り出すのは容易だからだ。*1

 科学的手続きの誠実さによって残る「不確実な部分」をことさらに強調し、それが賛否両論あるうちの一方の意見にすぎないと主張する論法。これは科学のみならず、たとえば歴史修正主義者の論法の一パターンでもあるだろうと思う。

 加えて本書で扱われる科学の問題と歴史修正主義の問題との類似点が見出せるのは、いずれも専門家の社会に対する発信が不十分であったのではないか、という点。本書で扱われる懐疑論を、「ゴミだとわかっていたから単に無視したんだ」*2という態度が結局は科学的な根拠を欠いた懐疑論が人口に膾炙する結果を生んだ。

 歴史修正主義をめぐる問題について、安田浩一および倉橋耕平は、歴史修正主義者側が粗製乱造で大量に言説をばらまいてきたことに対し、歴史学者たちの批判は誠実であったが量的には少なかったことを『歪む社会』の対談で指摘している。

 しかし、こうしたゴミのような言説に対抗することが専門家の仕事の一部となるのはやっぱり気の毒だと思うので、アマチュアのぼんやりし努力でなんとかよい方向に...おも思うのだけど、今般の歴史修正主義をめぐる状況をみるに、そんなフェイズはとっくに超えているのかもしれない。

 科学における懐疑論の担い手たちを駆動していたものが、冷戦時代に培われた反共産主義と裏返しの市場原理主義ではないか、というのが本書の見立てだが、この反共思想もまた、日本列島の歴史修正主義者と重なる。日本列島における歴史修正主義者がことさらコミンテルンの陰謀を言い立てる不可思議さはわたくしには到底理解できないが、それもまた冷戦の長い影がぼんやりと落ちているからなのか。

 

 日本列島における歴史修正主義者たちがいかにでたらめをやっとるか、以下の検定不合格となった教科書をめぐるやりとりをみるとはっきりわかるので、お暇があればご一読をおすすめします。

https://www.mext.go.jp/content/20200410-mxt_kyokasyo02-000006416_5.pdf

www.mext.go.jp

*1:上巻、p.76

*2:下巻、p.254