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銃弾と疫病と民主主義の危機について——尾中香尚里『安倍晋三と菅直人 非常事態のリーダーシップ』感想

安倍晋三と菅直人 非常事態のリーダーシップ (集英社新書)

 安倍晋三が突然亡くなったからといって、その政権下でなされた無法と愚行の数々が免責されてはならない。というわけで昨年末に出た尾中香尚里『安倍晋三菅直人 非常事態のリーダーシップ』を読みました。以下、感想。

 2020年から始まり、いまなお収束の気配をみせない——今般の第7波でわたくしはいよいよ強烈な不安が高まっている——新型コロナウイルス感染症の流行。この「非常事態」にまず対峙した首相は、2021年から長期にわたって政権をになってきた安倍晋三だった。突如決定・発表された各種学校の一斉休校、各世帯に配布されたはいいが当の首相以外は誰も着用していなかった貧相な布マスク、給付金をめぐる再委託・外注による「中抜き」の構造...。唖然とする対応は箇条書きにすればきりがない。それらは「非常事態」の対応として適切だったか。本書はその検証のため、東日本大震災、とりわけそこで生じた福島第一原子力発電所での事故対応を行った、菅直人を首相とする民主党政権の対応を参照軸として取り上げる。

 本書のこの対比の意図は明白で、当時は何をやっても強烈に批判された——たとえば原発事故で居住地を追われた避難所への訪問は、時間が短ければ「被災者無視」、長ければ「パフォーマンス」と、どうやってもバッシングの対象になった*1―—菅直人政権の再評価と、それを踏まえての安倍政権および自民党政治への批判、ということになる。その意味で、本書の立場は中立ではない。

 じゃあ単なるプロパガンダにすぎず、安倍政権に否定的な読者を慰撫してはいおしまいという本になっているかといえば、僕はそうではない、と思う(わたくしを含めたそういう読者を慰撫する本であるには違いないにしても)。それは何故かといえば、菅直人についても、その対応をすべて肯定するのではなく、その対応の適切さについて疑義を呈すべきところは呈しているから。

 たとえばしばしば批判の的になる、3月12日の福島第一原発視察について、よく批判者が述べる紋切り型の批判(首相対応で現場の時間・労力を大きく消耗させた)が事実に反するものと指摘し、かつ東電本店との意思疎通が困難ななか現場の状況を把握する必要性があったことを認めつつも、首相本人が出向くことが適切であったかどうかについては判断を保留し、読者の判断にゆだねている。また、重要な会議での「議事録未作成」についても、明らかな傷として触れている。もっとも、これは安倍政権下で「連絡会議」の議事録を作成せず、意図的に意思決定過程をブラックボックス化したことと比して、悪質性という点でどう評価すべきか、本書の立場は明らかであるわけだけど。

 全体として、安倍政権の対応の問題点についての簡潔なまとめとしてよく整理されていて(星野源の「うちで踊ろう」をめぐる噴飯物の情報発信についても無論触れられている)、時間が経てば本書の史料的価値は高まるだろうと感じる。ディテールについては各々紐解いてもらうとして、わたくしが安倍政権への強烈な不信感をもった理由が端的に記述してあると感じた個所を以下に抜粋しよう。

安倍首相は、法的根拠を伴わないさまざまな要請で国民の行動に制限をかけておきながら、そのことによって発生する政治の責任、すなわち経済的損失に対する補償については、全く顧みようとしなかった。*2

記者会見における安倍政権の情報発信を振り返ると、①政権の「成果」を誇示する、②政権の「責任」をはぐらかす、③政権の「責任」が生じた場面では「誤解」などの言葉を使い、国民全体を含む他者に責任を押しつけるーーという特徴がうかがえる。*3

 おれはやってる、おまえら国民がわるいんだぜ、という態度。過ちを決して認めず、これを「問題視」するお前らがおかしいのだという居直り。コアな支持者たちにそう信じてもらえばよい、そのようにして、安倍政権下のなかで、我々とあいつらという二分法のなかで思考させられてしまう言論空間が立ち上がった、という気がしてならない。そしてそれは、安倍晋三の死によって一気に変わったりはしない。

体調不良による辞任であれば、政権当時のことはすべてリセットされる、ということはあり得ない。*4

 こう書き記した著者にも今般の状況は予想もできないものだろうが、あえてパラフレーズするならば、殺人の被害者になろうが政権当時のことが免責されることはあり得ない、こう言い続けなければならないだろう。

 国民は舐められ続けていた。民主主義は銃弾によって危機に瀕したのではまったくなく、そういう政権に政治をゆだね続けたことでまさに危機の只中に置かれていたのだ。これが歴史の転換点なのだといたずらに言い募るのではなく、日々、わたくしたちの一挙手一投足によって歴史を、あるいは民主主義をつくるという感覚をこそ、わたくしたちは育てないといけないんだろうと思う。

 

 

*1:p.186

*2:p.128

*3:p.160

*4:p.291