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浅はかなぼくらの大人のなりかた────『ふれる。』感想

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 『ふれる。』をみたので感想。

 離島で暮らす小学生、小野田秋は、口下手で、友人もつくれずに過ごしていたが、ある時、島の伝承に伝わる謎の生き物、「ふれる」と遭遇し、その力で同級生の祖父江諒、井ノ原優太と心を通わせるようになる。「ふれる」の力で、三人は身体が触れ合うと互いの考えていることが理解できるようになったのだ。緊密な関係を保ったまま成長した三人は、20歳になって島を離れ、「ふれる」を連れて上京し、ルームシェアをしながらそれぞれの生活を送っていたのだが、偶然知り合った女性二人と一緒に暮らすようになり、三人の関係も否応なしに変わっていくことになる。

 監督に長井龍雪、脚本に岡田磨里、キャラクターデザインに田中将賀の、『とらドラ!』、『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』から連綿と続く座組の最新作は、成人男子の幼なじみ三人組がその関係性をアップデートする、青春ファンタジー。アニメーション制作はCloverWorksで、東京、主に高田馬場周辺の様子がリアリスティックに再現されている。三人が暮らす古びた日本家屋の設計がおもしろく、小上がりのように高くなったベランダ等を、空間の利用が巧みでおもしろくみました。

 この『ふれる。』のおもしろみは、『あの花』や『ここさけ』などと比べて主人公たちの年齢がやや高めに設定されているにもかかわらず、かなり未熟な印象を感じさせるふるまい・言動をするあたりで、まあこれも年相応という感じもするが、このあたりの生々しい幼稚さ・愚かさに岡田磨里の手腕を感じた。男子グループのなかに異性が入り込むと、いいところをみせようとかなんやらでなにやら急に色気づきだし…ということはありふれていると思うし、また時に異性にドン引きされるような内輪ノリで物事をすすめてしまって気まずい展開が生じたりとか、かなり幼稚で浅はかな感じがするのだが、そのあたりの描き方は相当うまかったと思う。

 ただ、それがキャラクターの魅力につながってはいないので、わたくしはこの三人組に概して好感をもてず、それでこの映画への愛着もあんまり湧いていないというのが正直なところだが、しかしそこにおもしろみは感じてもいる。例えば高松美咲『スキップとローファー』など、高校生たちが非常に聡く、メタに自身をながめてコミュニケーションを図っている様子が描かれる(そのあたりの綾が間違いなく魅力ではある)が、あまりに賢すぎるだろ!とは思っちゃうんですね。その意味で『ふれる。』の三人組の浅はかさ、愚かさを擁護してもいいような気がしてくる。

 彼らの浅はかさはおもにコミュニケーションのなかにあらわれることになり、「ふれる」を介してイージーにコミュニケーションをとってきたことで、三人はそれぞれにコミュニケーションにかかわる問題を抱えているようにみえ、それゆえに外の社会とはしばしばコンフリクトをおこす。

 デフォルメされたハリネズミのような「ふれる」は、なにかテクノロジーの暗喩というよりは、ある時・ある場所で異様に緊密・濃密なコミュニケーションが行われてしまう空気をフィクショナルに結晶化したものとわたくしはみたのだが、そうした関係性が成員の性格形成に不健全な影響をもたらすことはありふれたことのように思う。だから『ふれる。』を要約するなら、上京した三人が離島で形成されてきた不健全な関係を昇華し、まっとうに自立するまでを描いているといっていい。

 こうしてある種の「大人のなり方」を示してみせてはいると思って、クライマックスのさながらプチ人類補完計画が発生しそうになるくだりとか全然うまくないし、主人公たち三人は徹底的に女性をモノのようにしか扱っていないヤバさ(これはある意味上述の浅はかさ・愚かしさの一部ではあるにせよ)とかあるにせよ、全否定する気にはなれないような作品ではありました。

 

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『ふれる。』とくらべると、『空青』とか『ここさけ』とかかなり好きっぽいことを改めて感じたのでした。

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