『ガールズバンドクライ』をみたので感想。
人間関係のトラブルによって高校を辞め、親とも揉め、上京した少女、井芹仁菜。住むことになった神奈川県川崎市でみかけたストリートミュージシャンは、なんと憧れていたバンドの元リーダー、河原木桃香だった。仁菜は音楽を辞め地元に帰ろうとする桃香に思いのたけをぶつけ、そのことをきっかけにして、新たなバンドを結成し、新生ダイアモンドダストに対抗心を燃やすのだった。
東映アニメーションによる、ガールズバンドを主役に据えたオリジナルアニメ。シリーズディレクターに酒井和男、シリーズ構成・脚本に『響け!ユーフォニアム』、『宇宙よりも遠い場所』の花田十輝。劇中バンド「トゲナシトゲアリ」はアニメ放映前にデビューし、主要キャラクターはバンドメンバー5名がそれぞれ演じている。演技はキャリアを重ねてきた声優と比べてやや素人感が出ているが、その演出ではない生っぽさはこの作品の味になっている。楽曲はいかにもボーカロイドを経由した、2010年代後半以降のトレンドともいえるようなサウンドだとわたくしは感じた。
キャラクターは3DCGで描画され、セルルック調——制作陣は「イラストルック」と称しているようだ—のモデリングは東映アニメーションの『THE FIRST SLAM DUNK』など先行する作品の技術が活かされているのではと推察するが、表情豊かに記号的な感情表現を行い、作画とはまた違った味わいながら独特の魅力がある。
このルックがまず大きな魅力になっていて、バンド演奏を映す際には3DCGであることを活かしてカメラを自在に動かす。それ自体は、3DCGを使ったアイドルアニメにもみられる演出ではあるが、バンドものである『ガールズバンドクライ』は基本的に演者の立ち位置が固定されている。そのため、アイドルのパフォーマンスよりもカメラワークに工夫が要請されたのではないかと思うのだが、ライブシーンははったりが効いていて、カメラを動かすことでエモーションを突き動かす、印象的な場面になっていた。とりわけ、11話のロックフェスで演奏される「空白とカタルシス」は鮮烈だった。
お話の骨格はバンドの成り上がりなのでさほどひねりはないが、主役である井芹仁菜をはじめ、キャラクターに一癖も二癖も持たせたことでかなりユニークな手触りになっている。高校を退学しひとりぼっちで上京した仁菜はかなりあぶなっかしい行動を繰り返し、その言動はしばしば周囲を唖然とさせるが、自分でも自分自身をコントロールできないこと、自分の焦燥感の原因がわからないことへの苛立ちが否応なしに周囲に漏れ出てしまう。このままならぬ少女の焦りとか怒りのようなものが生々しく滲むパーソナリティは、演者の必ずしも「うまい」とはいえない演技とあいまって強い印象を残す。
バンドメンバーであり人生の先輩である桃香も、年長者ではあるがしばしば幼さをみせて仁菜と衝突するが、このあたりの少女たちの動かし方は花田十輝の手腕が存分に発揮されているのではなかろうか。
上京してバンドを組み、成功を目指す仁菜だが、ストーリーラインとしては素朴な成長譚になっていないことにおもしろみを感じる。たとえば近年のバンドアニメでいえば『ぼっち・ざ・ろっく』など、主人公の成長とそれに伴う世界との和解、つまるところ主人公の変化が大きな主題になっていた。この『ガールズバンドクライ』も、主人公が熱中できる「やりたいこと」をみつけ、親とも和解するという典型的なビルドゥングスロマンの要素はあるが、むしろままならぬ世界と和解などせずそのまま中指を立てること、すなわち「変わること」を要請されながら決死で「変わらない」ことを選び取るお話になっている。それは1話で仁菜が叫んだ、「負けたくない」という精神性の発露なのだと思う。
個として世界に開かれてゆくことだけでない、むしろその中で確固たる自我を鍛え、磨き、誰にも認められなくてもそれを守ってゆくことを力強く肯定してみせるアニメとして、わたくしは『ガールズバンドクライ』をみたのだった。セカイと和解などしない。セカイと決裂して、それでもなおステージに立つこと。バンドである以上、それは孤独な営為ではなく、ともにステージに立つ仲間がいて、だからこそこの結末がバッドエンドではなくなる。放課後ティータイムとはまったく違う仕方で共同性を擁護するこの仕事は、その意味で時代の空気を吸っているという気がする。
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