偶然にも時間ができたので、今年度末で休刊予定のDIC川村記念美術館に行ったのだった。
川村記念美術館、行きたい行きたいと思いながらその遠さに尻込みして行けていなかったのですが、休館の報をきき、これがおそらくラストチャンスだろうと腹をくくって行ったのだった。遠かった…。とはいえ、佐倉インターから車で15分くらいだから、絶望的なほどアクセスが悪いわけではない…しかし遠いよ!佐倉市といえば、国立歴史民俗博物館も行きたい行きたいと10年来思いつつ、未だ行けていないのよね。子どもがすこし大きくなったら、ドライブがてら連れていこうかしら。まだまだ先のことだけれど。
さて、当の川村記念美術館は現在、「DIC川村記念美術館 1990–2025 作品、建築、自然」と題して、そのコレクションを大々的に展示している。展示の末尾には、この美術館が35年も存続してきたことは奇跡のようなものだ、という趣旨の言葉があったが、海老原一郎の設計による本館はゆったりとしたつくりで、まさに作品のためにあつらえた空間という雰囲気を強く感じ、贅沢とはこういうことなのであるなあと感嘆した。
特に迫力あるのはマーク・ロスコによる大作を展示するためにつくられた「ロスコ・ルーム」で、薄暗い照明のなかで一人の作家の遺した絵だけに囲まれた空間は、作品の価値というか、凄みのようなものを一層強烈にしている。
ロスコの壁画に代表されるような、抽象画や現代美術の展示が割合多くて、そこらへんは結構空いている感じがあった。最初の展示室に飾られているのがモネやルノワール、マティスなんかで、多くの客もそこらへんで滞留していたのだけれど、わたくしもミーハーなのでそこらへんのわかりやすい絵画におお!となっていた。とはいえ、現代美術の文脈がわからなくても、リッチな空間でなんとなくわたくしを圧倒するようなあれがあり、その意味でかなり啓蒙的な施設でもあるのかもしれません。
そうした本館だけでなく、それをとりまく庭園も広々としていて、非常に贅沢な気分になる。本館もそうだけれど、このレベルの規模の庭園は都内では新たに作ろうと思っても無理というものでしょう。この美術館があるのは昭和末期の豊かさの故ですが、それの維持がかなわない、私たちの時代の悲しき貧しさよ。そういう意味で、遠く過ぎ去りゆく時代の残り香をぎりぎりのタイミングで浴びたという感じがあり、寂寥感が胸に残っているのであった。
着いた時にはすでに第1駐車場、第2駐車場は埋まっており、かなりの人出を覚悟したのだけれど、本館のなかはさほどの人込みではなく、ストレスフルな感じはなくて、それはよかった。本館のわりあいゆったりとしたつくりによってそういう印象になっているのかもしれないが。残りひと月、これからもっと混むのだろうか。この美術館の神髄はたぶん、客より警備員のほうが多いような状態で味わうことのような気もする。そんな不経済がもはや許されないというのもわかるけれど…。
いちばん記憶にのこったのはシャガール「ダヴィデ王の夢」!です。
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美術館行くの久しぶりやなあという感じですが、最後に行ったの庵野秀明展っぽいですね。