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山形浩生『翻訳者の全技術』感想、あるいは積ん読者死すべし!

翻訳者の全技術 (星海社 e-SHINSHO)

 山形浩生『翻訳者の全技術』を読んだので感想。

 ピケティ『21世紀の資本』はじめ、多数の著作を訳してきた翻訳者であり、開発援助系のコンサルでもある著者が、翻訳の技術や読書術、勉強法などなどについて語ったものをまとめたのが本書。

 わたくし山形浩生のファンなので、ブログやウェブサイトはだいたい目を通していて(「新・山形月報」の更新待ってますよ!)、本書はその再放送的な感じも多いが、こうして書籍のかたちにまとまるとなんとなく新鮮で、おもしろく読めた。

 橋本治論の構想のはなしとかは、下記の対談のあとそんなにも深く落胆していたのか、と改めて驚いたし、昨今再評価の兆しのある山野浩一については、その批評眼には一定の評価をしつつも、小説については高く評価しないと語っていて、なるほどなという感じであった。翻訳がらみでは、高く評価する同業者への賛辞も(ほかのところで語っているところでもあるけれど)直截でおもしろい。

cruel.org

 

 さて、本書のなかでとりわけ印象に残ったのは、積ん読をめぐるセクションで、ここはほんとうに身につまされるというか、耳が痛いところであった。

無価値の山と化した積読を放置しているのは、その人の怠慢であり、未練でしかない。そしてそれを「読まなくたっていいんだ」とうそぶくのはごまかしであり、まして「読まない本にこそ価値がある」などと言ってみせるのは倒錯だ。それを放置すればするほど、精神は淀み、知は腐敗する。可能性だったはずのものが、もう単なる言い訳になり果てるのだ。
 自分が目を向けられずにいる己の失敗やまちがい、自分のかつての浅はかさ、そして何より、自分の怠慢と先送り。やると言ってやらなかった数々の小さな積み重ね。果たせなかった約束の数々。できもしないことを、できる、やると大見得切ってしまった恥ずかしさ。もう読むことはないと自分でもわかっている積ん読には、そのすべてが淀んでいる。そうした無数の無責任、不義理。かつてのプライド。*1

 読んでいなくても所有していることに意味がある、的に積ん読を擁護する主張は、SNSで定期的に拡散されているという気がするのだが、それを山形は一蹴する。結局のところ、読まなければ意味がないのだという身も蓋もない事実、積ん読という営為のみっともなさを我々につきつける。このあたりのストレートな物言いが、山形の言説の大きな魅力だと改めて感じる。

 このあたり、おそらく山形自身の経験からくる反省から出ている部分もあるのだろうが、それだけに真に迫るものがある、とも思う。

cruel.hatenablog.com

cruel.hatenablog.com

 積ん読を解毒するには二つの方法があり、一つはとっとと損切りして手放すこと。もう一つはとにかく読むこと。

もう一つの当然の解消法は、有無を言わさずだまって(騒いでもいいが)読むということだ。予備知識なんかどうでもいい。敷居なんか蹴倒せ。取り出して、開いて、読もう。流し読みでもいい。拾い読みでもいい。まずは読もう。本書でも前に述べたように、最初と最後だけ読もう。なんか噂に聞いたところだけ読もう。それで予備知識が要るなーと思ったら、そのときに調べなさい。それでいいのだ。読まない本よりは、流し読みでも読んだ本のほうが読者にとっては価値があるのだ。期待していたすごい壮大な世界が本当にあるのか、確かめようじゃないか。*2

 わたくし自身、数年前の引っ越しで大量の積読を手放さざるを得なくなって、そこで(ほんのわずかではあるけれど)長年積読になっていたものに手を付けた、ということがあった。水村美苗本格小説』、北杜夫『楡家の人びと』、等々…。その2冊は読んでみて改めてその傑作ぶりにおののき、手放してしまったけれど手元に置いておきたいな…という気持ちがいまもある。本末転倒。

 なんとなく、積読するのは、いまはほんを読めないけれど、いつか読むんだからね!という言い訳のためにしているようなところもあり、実際子どもが生まれてから本を読むのに使える時間は通勤電車のなかとあと夜中にすこし…という感じなのだけれど、たぶん大事なのは、適当でいいから読む、ということなのだろう。

 わたくしがアニメに結構救われているのは、この「適当にみる」ことを許してくれるような鷹揚さがあるからで(心血注いでつくっている制作者には申し訳ないけれど)、そのくらいのハードルでとにかく読む、そのことが働いていると本が読めないなどという軟弱なことを言い出さないためにはたぶん必要なんすね。

 というわけで、『翻訳者の全技術』、ポジティブな自己啓発本としておもしろく読みました。

 

 

 

余談

 あの星海社から出るというので、その物体としてのクオリティをいささか以上に心配していたのですが(たとえば荻上チキ『ディズニープリンセスと幸せの法則』のやばさはリンクの通り、わたくし自身の体感としても誤植や誤字があからさまに多いレーベルと感じている)、サポートページをみるかぎり、誤字脱字満載ということはなさそうだ(わたくしは気づかなかった)。いまあがっている指摘も、山形の記憶違いレベルの事実誤認っぽいし、山形がちゃんとチェックしたのか、ちゃんとした編集者だったらちゃんとするということなのか…。

*1:pp.102-3

*2:p.107