『教皇選挙』をみたので感想。
バチカン。教皇が亡くなり、教皇選挙(コンクラーヴェ)が執り行われることになる。信仰に迷いつつある首席枢機卿、トマス・ローレンスはそれを取り仕切る役目を負う。全教皇の路線を継承するリベラル派と、復古的な教会への回帰を望む保守派がにらみあうなか、秘密裏に任命されていたカブールの枢機卿がバチカンに到着し、野心と陰謀に彩られたコンクラーヴェがはじまる。
『西部戦線異常なし』のエドワード・ベルガー監督、脚本に『裏切りのサーカス』のピーター・ストローハン。主演にレイフ・ファインズをすえ、ローマ・カトリック教会の枢機卿たちの暗闘を描くサスペンス。作中、コンクラーヴェは戦争の比喩で語られるが、それぞれの思惑が交錯し、またそのなかで各人の地金のようなものがあらわになっていく。
コンクラーヴェの進行を務めるローレンスは、信仰の危機のなかにあり、教皇になるという野心を持っているわけではない。開始前の説教では、明らかに保守派を牽制し、リベラル派の筆頭ともいうべき友人ベリーニ枢機卿の後押しを試みるが、それは必ずしもうまくいかず、むしろ自身の支持者を得てしまったことでベリーニに不信を抱かせることになる。
現代的な良心が託されているようにみえるベリーニは、選挙活動に積極的でなく、自身の理想を掲げてコンクラーヴェに望むが、ローレンスへの不信を募らせる中で、抑えがたい野心を秘めていたことがあらわになる。このあたりの人物造形の陰影のつけ方は非常に巧みだったと思う。
巧みといえば、絵画的な画面が次々とあらわれるのがすばらしく、いかにも聖職者の園といった趣の清浄な雰囲気の美術をバックに、ばっちり決まった構図が出てくるので、システィーナ礼拝堂という閉ざされた場所を基本的には舞台にしているにもかかわらず、閉じた感じはなく、画面をみていて退屈するということがなかった。
コンクラーヴェの進行につれ、枢機卿たちの抱える秘密や、俗な陰謀が明らかになっていくが、やはり最も衝撃的なのは、教皇に選ばれた人物にかかわる秘密が開示されるクライマックスだろう。作中の大きな対立軸である教会内のリベラル対保守などというものが、所詮既成の常識の範囲内のものでしかなかったことを暴露するようなこの秘密は、鑑賞していて予想だにしていなかったので大いに驚いた。
コンクラーヴェの過程で枢機卿の後ろ暗い過去や陰謀を暴いてきたローレンスは、最後、このほとんど革命ともいうべき新教皇の選出を受け入れる。この映画が描いてきたのは、コンクラーヴェである以上に、ローレンスの信仰をめぐる葛藤が昇華される旅路であり、このあたりの機微はクリスチャンではないわたくしなどにはほんとうの感じがわからないような気もするのだが、建物から出てくる修道女たちの明るい笑い声で幕を閉じるこの映画は、思った以上にさわやかな印象だった。