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悪魔の好奇心、小市民の徳───米澤穂信『冬期限定ボンボンショコラ事件』感想

冬期限定ボンボンショコラ事件 〈小市民〉シリーズ (創元推理文庫)

 米澤穂信『冬期限定ボンボンショコラ事件』を読んだので感想。

 高校三年生の小鳩常悟朗は互恵関係を結ぶ同級生、小佐内ゆきと一緒に下校中、車にはねられてしまう。轢き逃げ。長期の入院が見込まれ、受験も先送りせざるを得なくなった小鳩は、体の自由もきかない病院のベッドの上で、かつて自身が中学時代に首をつっこみ、小佐内ゆきと出会うきっかけとなり、また「小市民」を目指す発端となった、ある轢き逃げ事件のことを思い返す。

 米澤穂信による〈小市民〉シリーズ、長編としては15年ぶりに発表された、満を持しての冬編は、轢き逃げの被害にあった小鳩が、「小市民」のオリジンともいえる事件を思い返しながら、自身に降りかかった事態が明らかになっていく、これまでの作風とは打って変わった変化球。

 デビュー以来、米澤穂信にとって大きな主題は「思春期の全能感」で、この〈小市民〉シリーズもそれを彫琢するためにキャラクターと舞台を整えているという印象をもっている。そのことは前にも書いた。

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 そこで、〈小市民〉シリーズの続編が書かれなかった理由として、米澤が「思春期の全能感」という主題にあまり興味をもてなくなっているからではないか、と書いたが、この『冬期限定ボンボンショコラ事件』を読んで、その見立てはそう間違っていなかったな、と感じたし、それでもなお、「思春期の全能感」の後始末としての事件を描き、シリーズに一区切りをつけたことは見事だと思う。

 いうなれば、この『冬期限定ボンボンショコラ事件』で描かれるのは、「思春期の全能感」の発露としての好奇心が、自身の命を危うくするほどの恨みを買うという事態であって、過去の出来事の前にあっては、いかに小市民といえどそれを他人事のようにいなすことなどできはしない。

 そうした撤退不可能のシチュエーションにキャラクターを追い詰めてみせるのは、たとえば直木賞を勝ち取った『黒牢城』はその極限だが、近年の米澤が反復している手口でもある。以下の記事で書いたように、「小市民」とは撤退の美学の体現者の謂いであるが、撤退の美学など許さない次元に小市民を立たせた点に、この作品のおもしろみのひとつはある。

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 こうした状況にあっても、小佐内さんはかわらずキュート。結部のやりとりなど、互恵関係にある二人の奇妙な距離を感じさせる綾が実にすばらしい。小市民の冒険はひとまず区切りがつきましたが、この二人は舞台を移し、さらにその活躍をみせてくれる予感もあり、そのことが素朴にうれしかったのだった。

 

関連

ミステリとしては、偶然のファクターがときにご都合主義レベルに感じられるところもありますが、米澤にとって偶然が重要な意味をもつモチーフであることは、以下の個人誌でも指摘しているところです。

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