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妻が体調を崩しているので少しでも休んでもらおうと、この土日はわたくしと子の二人でわたくしの実家に行っていたのであった。実家まではぎりぎり日帰りできるくらいの距離感ではあるのだが、今回の帰省は事故渋滞の影響もあっていつもよりだいぶ長くかかってしまった。それでも子はなんとか機嫌よく持ちこたえてくれたのでよかった。
実家には両親、祖父母、妹(子にとっては祖父母、曾祖父母、叔母)がいるのだが、改めて人の手がたくさんあるとありがたいと実感する。つねに誰かが子をかまっているような感じで、子も退屈せずに過ごしていたようだった。祖父母は大江健三郎と同年生まれ。ありがたいことに元気でいてくれて、正月以来の曾孫との接触を楽しんでいたようだった。
今日、自宅へ戻ると子はいつも以上に饒舌に言葉(らしきもの)を発して母親に甘えていて、そうか、元気に遊んでいるようにみえても、やっぱり慣れないところで緊張していたんだな、と改めて感じた。それでも滞在中は全体として機嫌よく過ごして、わがままも控えめだったので、子どもなりに相当気を遣っていたのだろうなと思った。
気を遣うといえば、おもしろかったのが食事の時の態度で、普段自宅で食事をとるときは(たぶん年相応くらい?比較対象がいないのでわからないがとにかく野菜を食べないことが多い)好き嫌いが激しく食べたくないものは頑として口にいれないのだが、わたくしの母相手だと幾分態度が軟化したというか、普段家では食べない野菜も口にいれて、ものすごく不本意そうな顔をしながら食べたのだ。
家では多くの野菜を拒否し(それでしばしば妻の機嫌を損ねる)ているのに、保育園の連絡帳をみると、ほとんどの日、給食は野菜の献立含めて「完食」となっていることを不思議に思っていた(保育園側の記載方針で全体的にまあ食べてれば「完食」とするのかなあとか思っていた)のだが、今回の実家でのことでなんとなく得心した。たぶん自宅以外では気を遣っておいしくなくても食べているのだ。
子にとっての食べ物のランク付けは、おそらく以下のようなものだ。
- 食べてもよいもの(米、肉、魚など)
- できれば食べたくないが、気を遣えば食べられるもの(牛乳、多くの野菜など)
- 絶対に食べないもの(ヨーグルトなど)
保育園や慣れない場所ではできれば食べたくないものも食べるが、自宅では気を遣わず食べたいものを食べている。できれば母親にもっと気を遣ってほしいものだと思うのだが…。
哲学者の古田徹也が著書のなかで、自分のつくった弁当を子が気を遣ってしぶしぶ食べていることに気づいて衝撃を受けたというようなことを書いていたが、それはもうちょっと年を重ねた子どものエピソードだった(気がする)ので、まさか2歳児も2歳児なりに気を遣うのだな、というのはわたくし的には結構おもしろい発見だった。
実家までの長距離・長時間の移動中にお利口さんにしていたのも子なりの気遣いであったかもしれず、思い返せば、子は子なりにこの殺伐とした世に苛まれるわたくしや母親のことを精一杯気遣ってくれているのかもなあと思ったりしたのであった。それはそれとして、野菜を食べてほしいのであった。