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コミュニケーション的小説行為の実践────小川哲『言語化するための小説思考』感想

言語化するための小説思考

 小川哲『言語化するための小説思考』を読んだので感想。

 本書は、『地図と拳』で直木賞を得た新進気鋭の作家が、「僕が小説を書くときに考えていることを可能な限り言葉にしてみよう」という試み。もともと『群像』に「小説を探しにいく」というタイトルで連載されたもの。書籍化にあたってなんとなく自己啓発っぽいタイトルになったが、連載時のタイトルのほうがより芯をくっている感じがする。本書を読んでもあまり「言語化」の助けになるような「小説思考」みたいなものが開陳されているわけではない。

 そして小説執筆のハウツーでもなくて、そもそも小説とは、小説を読むとは、小説を書く/読むときになにがおこっているか、ということを思弁的に、しかし平易な言葉で記していて、わりと読んだことのない感触の本を読んでいるな、という感じがあった。

 わたくしは小川のファンなので、小川がどのように小説を出力しているか、という点で結構おもしろく読んだ。特に驚いたのはプロットをつくらないという点。『ゲームの王国』や『地図と拳』のような長編をプロットなしに書いているというのはにわかには信じがたいが、一方でそれらの作品が風呂敷の広げっぷりに大いに胸躍った一方で、その畳み方にはいささか消化不良を感じもした一読者としては、このプロットの不在というのがなにかこの小説家の小説を画竜点睛を欠くものにしているのではないか、という感じももった。

 例えば冲方丁は『冲方丁のライトノベルの書き方講座』のなかで、とにかくプロットを構造化して書くことを重要視していた気がするのだが、むしろ実作者としての冲方の魅力は、書いているうちにプロットを内破していくエネルギーが充填され、それによって思いもよらぬ展開が生じることにあるという気がしている。これはプロットという型があればこそ、それがひとつの梃になって小説を飛躍させているようにも思う。

 この職業作家としての冲方の方法論は、大塚英志なんかが繰り返し語っていることでもあり、ある意味でポピュラーな方法論ではないかとも思うのだけど、小川はそうしたところとは明らかに別の仕方で書いていて、それがわたくしにとっての小川の小説の新鮮味でもあるのかもしれない。

 小川の小説観の中心にあるのは、小説を書き手と読み手のコミュニケーションの一形態と捉えているところで、そのあたりもおもしろく読んだ。