
『アメリと雨の物語』をみたので感想。
1969年、日本、神戸。ベルギー人の外交官の父、ピアニストの母をもつ少女、アメリは、生まれてからずっと無反応状態だったが、2歳の誕生日に覚醒し、2歳半、祖母との出会いをきっかけに世界とかかわりをもつようになる。家の手伝いにきている家政婦のニシオさんとともに、この日常世界の不思議に触れてゆくのだった。
ベルギーの作家、アメリー・ノートンの自伝的小説『チューブな形而上学』を原作にした、フランス製作のアニメ映画。監督を務めるマイリス・バラードとリアン=チョー・ハンは、『ロング・ウェイ・ノース 地球のてっぺん』などに参加した経歴があるようだ。
赤ちゃんから3歳ごろにかけて、少女の目にした世界がスクリーンに映し出されてゆくのだが、冒頭、誕生の瞬間にあらわれる強烈なまぶしい光に象徴されるように、乳児・幼児にとっての知覚世界を、主観によりそって画面に再構成しているという印象を受ける。カメラを少女の目線にあわせて低い位置に置いて切り取ったような構図で描かれる世界は、日本家屋や周囲の世界を異化してみせる効果を生んでいて、それが大きな魅力になっている。
そして彼女の目線から描かれる世界はパステルカラーで彩られ色彩豊か。彼女が日常世界の冒険のなかで出会う驚きがその鮮烈な印象に仮託されていて、非常によく効果をあげていると思う。舞台は制作者にとっては異国であり、またわたくしたちにとっても時間的に隔絶した過去であるが、違和感を覚えるポイントはほとんどなく、小世界が極めて緻密に設計されているという印象を受けた。
さて、日々の生活をアメリとほぼ同年代の子どもと送っているわたくしにとっては、そのことがこの映画との距離を大きく縮めてくれたという気がする。アメリと父と母は善良だが、上の兄妹の世話もあり、そんな両親との関わり合いのなかでアメリは不全感を覚えている。アメリの「なぜ世界はこうなっているのか」という問いに、彼らは彼らなりに誠実に答えようとするのだが、それはアメリを満足させることはない。このあたりの手触りは、ああ、わたくしの接し方も子どもを十全に満足させてはいないのかなと冷や汗が出てくる迫真性。
そんな彼女の好奇心を満たしてくれる存在が祖母であり、やがては家政婦のニシオさんで、ニシオさんとの交感がこの映画の中心的なモチーフのひとつになっている。彼女が神戸空襲の経験を語るシークエンスは、直接的な空襲のイメージではなく、料理の最中のカットをつないでいきながらアメリに語り掛けてゆく構成なのだが、まさにアメリから眺められる世界によりそったこの演出は、決して派手ではないが白眉の一つだろうと思う。吹替版では早見沙織が声をあてていて、堅実で見事な仕事ぶりだった。
アメリはささやかな冒険の末、不条理な別離があふれるこの世界を肯定することを学ぶ。儚く消え去ってゆく物事も、記憶に留めておくことで永遠のものとなるのだから。ごく幼い少女に訪れるイニシエーションをミニマルでかつ豊かに描いた、すばらしい映画でした。
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海辺での一連のシークエンスは、アルフォンソ・キュアロン監督『ROMA』を想起せずにはいられませんでした!こちらは家政婦不在でしたが…。
