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それぞれの生活の神話――『ROMA / ローマ』感想

 アルフォンソ・キュアロン監督『ROMA / ローマ』をみました。劇場で接することの幸運に感謝しないといけない傑作です。以下感想。

 石畳が映っている。何か音が聞こえるのだが、それはこの石畳について何かを語るものではない。やがて石畳の上に水がまかれる。うすい水面に飛行機が映り込む。ここにはどうやら屋根がないらしいとわかる。その水を撒いた女が映る。掃除をしているようだとわかる。そのようにして繰り返される日常と、その日常を一変させる出来事どもが、やがて画面に映りだす。

 1970年代初頭のメキシコを舞台に、父親がどうやら去ってしまった中産階級の家庭と、そこで働く家政婦の姿を映し出す。劇伴は(おそらく)まったく排除されていて、モノクロのストイックな画面とあいまって、異様な緊張感が劇場の暗闇の中に漂う。色彩を描いた画面は、我々が日々漠然と目にするこの世界に比して明らかに貧しいはずなのだが、環境音を徹底的に拾いこむ音響の効果が、そのモノクロの世界にむしろ現実以上に現実的な感触を与えている、という気がする。

 全体を通底するモチーフは、無責任な軽さをまとって逃げ去ることのできる男と、どうあってもここから逃げることのできない――それは端的に妊娠という現実であり、あるいはそのような契機を越えてまさにある子供らのいる現実としてのここ――女たちであって、しかも彼女が至る結末は、新生児から十字架の墓標につなぐモンタージュや、祝福された杯が見事に砕けたさまをわざわざ映すカット、そして父による殺人の意志表明などによってあらかじめ暗示されもするのだが、しかしそうしたありふれた切実な悲劇を語るためだけに、この時間と空間はあるはずはないのである。

 この画面をとりまく無数の音どものうちでも、あらゆる人間どものざわめきをかき消す波の音が一際強烈であるのはいうまでもなく、またその黒と白とのあわいで無限の色調をまとう波が、さらなる悲劇の予感をまといつつも、ある種の罪に対する救済の徴を与え、悲劇と救済という神話的というほかない大仰な見立てが、このありふれて切実な生活のなかに折りたたまれる。

 そうしてそれぞれの生活に、ありふれていて、しかし同時に切実な神話がしまい込まれていること。そうした神話のそれぞれのバリエーションを、さながら画面のなかを悠然と横切る旅客機のなかに確かにいるであろう乗客のごとく、我々は知りようもなく生きる。ただ映画館という暗がりにあって、こうして他者の生活がまさに神話でもあるということを、我々は告げ知らされるのである。