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彼女の強さと弱さ――米澤穂信「いまさら翼といわれても」感想

小説 野性時代 第146号 (KADOKAWA文芸MOOK 148)

 

 『小説 野性時代』146-7号掲載、現時点での〈古典部〉シリーズ最新作「いまさら翼といわれても」を読みました。これまで雑誌掲載された短編は未読だし、単行本まで待とうかなーと思っていたのですが、魔がさして図書館で手に取ってしまいまして、いやー、非常によかった。以下感想。ネタバレが含まれます。

 解き放たれた籠の鳥

「隠れた千反田さんを見つけられるのは、たぶん、ホータローだけだろうしね」

  合唱祭。ソロパートを任されていた千反田えるが会場にあらわれない。彼女を見つけられるのは、たぶん、折木奉太郎だけ。

 「いまさら翼といわれても」は、いなくなってしまった千反田えるを探す物語。千反田えるという存在は、たぶん、これまで作中において折木奉太郎が直面した最大の謎であり、そして少なくとも古典部のメンバーのなかではもっとも「強い」人間としてあり続けてきたのではないか、と僕は思っていて。

「見てください、折木さん。ここが私の場所です。どうです、水と土しかありません。人々もだんだん老い疲れてきています。山々は整然と植林されていますが、商品価値としてはどうでしょう?わたしはここを最高に美しいとは思いません。可能性に満ちているとも思っていません。でも……」
「折木さんに、紹介したかったんです」

  『遠回りする雛』のラスト。「最高に美しく」もなく、「可能性に満ちている」わけでもない場所を、それでも「私の場所」だといえる、友人に紹介できる。これはまさしく強さだ、と僕は思った。それは僕が地元という「最高に美しく」もなく、「可能性に満ちている」わけでもない場所のことを、自分の場所だといえるほどには和解できそうにない、と思っているからでもあるのだけれど、そういう僕の私的な思い入れはともかくとして、物語の主要な語り手である折木奉太郎にとっても、千反田はそういう「強さ」をもった人間として認識されてたのじゃないかと思うわけです。『ふたりの距離の概算』では、

千反田がさまざまな社交をこなすように、姉貴が世界中を旅するように、手はどこまでも伸びるはず。

  というような感じで、姉と並置して「手を伸ばしている」人間として千反田を挙げていたりするし。

 しかし「いまさら翼といわれても」においてその「強さ」の土台が強烈に揺らぎ、千反田えるという人間の「弱さ」が露わになる。千反田えるの「強さ」の根拠の大きな部分を占めていたのは、千反田家という家の役割を背負わざるをえないということ。その土地で、連綿と続いてきたものを受け継いで、そして次の世代へと受け渡していくという役割。それがあればこそ、「最高に美しく」もなく、「可能性に満ちている」わけでもない場所を、それでも「私の場所」だと紹介できた。

 その「強さ」が、ある種の諦観、ここで生きることしかできないのだというあきらめと密接に連関していたのだ、ということが、その役割からの解放が彼女に告げられたことで、その諦めから生まれた「強さ」は、「弱さ」へと転じる。

 彼女は歌のなかの「籠の鳥」、あるいは「生け簀の魚」だった。籠や生け簀から出ることはかなわないと知っていた彼女は、そのなかでよりよく生きる術を身につけ、そのようにしてこれからも生きていくのだと信じていた。しかし、彼女は「籠の鳥」なんかではないのだと。自由に羽ばたいてよいのだと知らされる。しかしそれはこれまでかくあるべし、と信じてきたものとは別様の生き方を探らねばならないことを意味する。

ああ 願わくば 我もまた
自由の空に生きんとて

  彼女も歌のなかの「籠の鳥」の如く、そう願ったことがあったのかもしれない。でも「自由の空」に戸惑うばかりの今の彼女に、心の底からその言葉を伝えることなど、到底できようもない。

「全部はわからない。でも、少しだけなら、わかる気がする」

 そのようにして、折木奉太郎千反田えるの「謎」を「少しだけ」解きほぐしてこの中編は終わるわけだけれども、それは「強くいられた」千反田えるの物語が終わり、新たな千反田えるの物語が始まることを告げるものでもあって。彼女の「謎」は、たぶんこれからも、これまで古典部の前に姿をみせた謎がそうであったように、「全部はわからない」。でもたぶん、「少しだけなら」わかっていくし、その「少しだけ」の「少し」の範囲は、きっとだんだんと広がっていくはず。「手はどこまでも伸びるはず」なんだから。

 というわけで、千反田さんの新たな物語の始まりを告げるであろう「いまさら翼といわれても」が、僕は非常に心に刺さりました。

 

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主にアニメ版の感想など。

 

 「長い休日」、「鏡には映らない」も近いうちに読んでおきたいですねー。