米澤穂信『ふたりの距離の概算』を読みました。アニメ『氷菓』のその先のお話、ということで、なんとなく読むふんぎりがつかず今までずっと積読状態だったのですが、意を決して読みました。以下で感想を。ネタバレが含まれます。
彼女の心まで何マイル?
省エネ主義者を自認する高校生、折木奉太郎。高校生として2度目の春を迎えた彼は、20キロメートルを走破しなければならないマラソン行事、星ヶ谷祭の道程を、ある「謎」と格闘しながらひた走る*1。その謎とは、古典部に入部しようとしていた新入生、大日向友子が急に入部を取りやめてしまった、その理由。
『わかんないか。そうよね。あんた、人を見ないもんね』*2
この伊原摩耶花の一言に「胸を突かれた気がした」折木は、長い道のりを走ったり歩いたりしながら過去の出来事を考察し、後輩の心に分け入っていく。*3。
『ふたりの距離の概算』を要約するならば、折木がもつれた関係を解きほぐす物語、とすることができよう。千反田えると大日向友子の、不幸なディスコミュニケーション。時に付き合いが浅いが故に千反田のパーソナリティを誤解し、時に彼女自身が心のうちに抱える問題が認識をゆがめ、そしてふたりの関係は決定的にもつれてゆく。
その行き違いを跡付けて「謎」を解き、そのもつれをどうにか解きほぐすことには成功したかにみえた折木だが、それが解きほぐされたことが、すなわち再びよりよい形で結びなおされることには直結しない。そこに本作の結末の妙というか、さわやかながらもほろ苦い味わいがある。
「僕たちは所詮、高校生だ。学校の外には手を伸ばせない。ホータロー、最初から、どうしようもなかったんだよ」*4
こう折木の(というか彼らの、というべきか)限界をある面では言い当てる福部里志のこの言葉に、しかし折木は全面的には納得はしない。
千反田がさまざまな社交をこなすように、姉貴が世界中を旅するように、手はどこまでも伸びるはず。問題はそうしようと思う意思があるかどうか。*5
手はどこまでも伸びるはず。このようにして希望の存在を確信する折木は、同時に「手は伸びるはずなのにも関わらず手を伸ばすことのできない自分」の存在を強く意識してもいる。手を伸ばせたならば、本当に大日向を「助けてあげる」こともできたのではないか。しかしどのような理由でか、それをしなかった自分がいる。それはなぜなのか。
だがもしかして、「余計なお世話だから関わらない方がいい」のではなく、「外の問題は面倒だから関わりたくない」と思っているのではないか?実際に何が出来るかどうかはともかく、心情において、俺はいま大日向を見捨ててきたのではないか?*6
もつれた糸をほどいても、大日向と古典部の面々の距離は推し量ることもできないほど遠く離れ、救いきれない残余が残される。しかしもつれた糸を解きほぐしたことの意味がないわけじゃない。もつれたままでは、再びきれいに結びなおすことなどできないのだから。未来にほのかな希望を託され、物語は幕を閉じる。
一人で走り切る
折木はここまでの道のりを一人で走破し、自身の限界までたどり着く。『ふたりの距離の概算』では、それまでの〈古典部〉シリーズの作品の中でも折木奉太郎が自分自身を分析してみせる場面が印象的に挿入されている。大日向のことを見てこなかった自分。「おい真面目に走れよクソが」と一方的な悪意を向けられる自分。その自己省察の結論として折木奉太郎は先ほどの独白に至る。
ただ走るという孤独な営為が、彼をしてそのように自分自身を内省する契機を与えたのかもしれない。走っている最中にとりとめのないことを考えてしまう感覚と、折木の自己言及は結構リンクする、とも。
しかしやっぱり、過去一年のさまざまな積み重ねの末、折木はそのような視線を獲得しえたのだ、と思いたい。折木は里志を「この一年で表情が締まってきた」*7と評するが、彼とつかず離れずの距離で関わってきた折木自身もいわんや、というところでしょう。
俺は大日向が何に喜び何に傷ついてきたのか、ほとんど興味を持ってこなかった。それは人を軽視したということだ。いまからでもその取り返しがつくだろうか。*8
「人を軽視した」ことへの後悔。このような発想は、かつての彼から導き出されただろうか。この彼女のことを見てこなかった自戒が彼を「謎」へと向かわせたわけだが、それと同等以上に彼を駆り立てたものがある。それは何より、大日向の退部を自身の失敗に結び付け自責の念に苦悶する古典部部長千反田えるを救いたい、その一心だろう。
折木がひとりでに、他者を救いたいと強く願う。「連峰は晴れているか?」で仄見えた萌芽は、春に至ってこうした形で芽吹いた。たとえ手をどこまでもは伸ばせなくとも、そのことに強い希望を僕は感じる。
関連
アニメ版『氷菓』の折木の変化について。
そのほか、アニメ『氷菓』についての文章はこちらからどうぞ。
他者との関係が決定的に切断されてしまう『さよなら妖精』と比べると、『ふたりの距離の概算』のなんと希望に満ち溢れてることよ。
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