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ディザスタームービーとしての聖書ー『エクソダス:神と王』感想

「エクソダス 神と王」 オリジナル・サウンドトラック

 

 さる2月1日、『エクソダス:神と王』を3D吹替え版で鑑賞しました。映画館かなんかで特報に触れたときは、リドリー・スコット監督作品ということで、『グラディエーター』とか『キングダム・オブ・ヘブン』みたいな、重厚っぽい感じの史劇を期待していたんですが、情報が明かされるつれどうやらそういう路線じゃないらしいことに薄々ながら感付いてきて、見る前から若干期待値低めだったりしたのですが、全然楽しく見れました。予想していた10倍以上にディザスターだった。映画においてディザスターは正義ですね。というわけで「楽しかった」以外には特に感想はなかったりするのですが、一応簡単に感想を。

 「エクソダスせよ」という命令

 『グラディエーター』とか『キングダム・オブ・ヘブン』みたいな、重厚っぽい感じの史劇という中身ではなかったわけですが、やはり歴史大作、ルックスのそれっぽさ凄い。冒頭のエジプトとヒッタイト戦車戦、白兵戦は大迫力だし、ナイルのほとりにある壮大な首都メンフィスをはじめとするエジプトの美術の美しさ、そしてそれと対比される荒涼としたアラビア半島の砂漠。ディザスターは言わずもがなですが、映像面はほんとにすばらしかった。

 お話の方はというと、エクソダスというワードから富野由悠季監督の『OVERMANキングゲイナー』を連想するのはぼくだけではないと思います。そもそもキンゲの元ネタ自体が旧約聖書出エジプト記にある以上、もろ旧約のエピソードを題材にした映画を見てキンゲを連想すること自体がだいぶ転倒しているような気がしなくもないわけですが、それはおいといて。「エクソダス、するかい?」という台詞に象徴されるようにあくまで楽観的にエクソダス=逃走する『OVERMANキングゲイナー』に対して、『エクソダス:神と王』はあくまで暗い。それはそのエクソダスが自発的に選び取られたものというよりは、「神の命じるものだから」じゃなかろうか。

 

  クリスチャン・ベール演じるモーゼは、神の声に導かれ、一度は捨てたエジプトに舞い戻りヘブライ人たちを救う使命を得る。ユダヤ教の予言者の特質について、かのマックス・ウェーバーは『古代ユダヤ教』のなかで、バビロニア等の狂躁道との対比で以下のように論じている。バビロニア等の狂躁道では、神の声を聞いたものは一種のトランス状態になるという。正気を失ったものが、神の声を伝える媒体となるわけだ。しかし古代ユダヤ教における預言者たちは違う。彼らは正気のままに神の声をきき、それを自らの強烈な使命感によって人々に伝えるのである*1。まさにモーセはその預言者像を体現していた。

 

モーゼはパルチザンの夢を見るか?

 悲壮な使命感に突き動かされるモーゼ。彼はヘブライ人を鍛え上げ、血みどろのゲリラ戦を展開する。と思いきやゲリラ戦の地道さに耐えられない神は、自然災害でエジプトをめちゃくちゃにすることで、ヘブライ人を約束の地カナンへ導こうとする。

 個人的にめちゃくちゃがっかりしたのがここなんですよねー。預言者という以上に歴戦の将軍たるモーゼが、パルチザンを組織して非正規戦でもって強大なるエジプトに立ち向かう。それがぼくは見たかったんです。非正規戦によって、戦闘員と非戦闘員=民間人の区別が限りなく曖昧になったことで、ラムセスがヘブライ人居住区を焼き討ちするシーンがあったじゃないですか。もうそこにゲリラ戦の予感がぷんぷん漂っていたのに。ヤハウェはそんな非正規戦でヘブライ人が疲弊する様をみたくはなかったんだろうか。

 そんな個人的な不満は置いておいて、そこからの聖書的ディザスターの映像スペクタクルはとっても楽しかった。すんげーグロテスクで悪趣味な感じが、ヤハウェの酷薄さを端的に表現しているような気もして。あと、『マグノリア』の元ネタってこれかいなとか思ったり。そんなわけで不満はあるけど映像で十二分に楽しかったです。でもあんまり3D効果は感じなかったですかねー。個人の体感ですが。とりあえず『キングダム・オブ・ヘブン』を見直したい気持ちでいっぱいです。

 

 

【作品情報】

‣2014年/アメリカ、イギリス

‣監督:リドリー・スコット

‣脚本:スティーヴン・ザイリアン

‣出演 (吹替え)

 

 

 

 

 

*1:ここら辺の議論は僕がうろ覚えで書いてるので事実関係に誤りがあるかもしれないです。第二イザヤなんかはこの類型の預言者として語られていた気がするんですが、モーセは違うかも