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孤独はきっと分け合える―『バケモノの子』感想

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 『バケモノの子』をみてきました。すごかったです。すごかった。以下で感想を。ネタバレが含まれます。

あらゆる要素が豪華絢爛

 まず何をおいても印象に残るのは、豪華絢爛さ。『バケモノの子』は細田守監督のフィルモグラフィで、いやアニメーション映画の中でも屈指の画面の密度を誇ってるのではなかろうかと思います。『もののけ姫』や『千と千尋の神隠し』、『ハウルの動く城』あたりに匹敵するすさまじさではなかろうかと。男鹿和雄さんなど、ジブリの作品に関わっていた人が多く参加しているという点でも、それらの作品を想起させる。

 現実世界の渋谷はリアルかつ緻密に描かれるし、それと同様にバケモノたちの暮らす渋天街もリアルとはかけ離れているけれどもディティール豊かに描かれる。現実と虚構、まったく毛色の違う二つの世界が違和感なく共存するこの特異な美術世界を構築した点で、『バケモノの子』はすでに成功を収めたと言っても言い過ぎではない。

 そうした世界を背景に動くキャラクターたちもまたすげえんですよ。表情は情感がありありとつたわってくるほど豊かだし、身体は縦横無尽に躍動する。キャラのアクションシーンもまたバラエティに富んでいて、ボクシングありカンフー風味ありチャンバラありケモノ的な動きありと本当に目が楽しい。拳と拳が、刀と刀が、身体と身体がぶつかりあう時の空気の振動を体全体で味わえるのは、映画館の大音響の醍醐味で、その意味でアクションシーンをみるために劇場に足を運ぶ価値はありすぎるほどある、と思います。

 固有のキャラクターの魅力もそうなんですが、それ以上に存在感があるのが群衆、モブたち。時に作画で、時に3DCGで描写されているとおぼしきモブが、四六時中画面を埋め尽くす。渋谷は常に雑踏であふれかえり、渋天街では個性豊かなバケモノどもがあまた闊歩する。ただたくさん存在する、というのではなくて、きちんと現実世界の群衆のように動いているようにみえるし、とりわけバケモノたちは群衆といえどその一人一人が個性を感じさせる。モブの見せ方が極めて秀抜だと思う。それは『バケモノの子』の豪華絢爛さに大きく寄与していし、なにより、本作の物語にとって彼らは大きな意味を持つ。

 なぜなら『バケモノの子』は、孤独にまつわる物語だからだ。無数の人々の実在感のなかでしか、孤独は説得的には描きえない。だから異常とも思えるほど群衆の描写が積み重ねられるのは、物語上の必然なのだ。

 

 孤独なものたちと救い

  『バケモノの子』は、主人公である少年、蓮が「孤独になる」ことから始まる。共に暮らしていたシングルマザーの母と死別した蓮は、あからさまに自分を利用しようとしている親族への反発から家を飛び出し、偶然バケモノである熊徹に出会う。個人的な事情もあって一方的に連を弟子にしようとする熊徹に対し、蓮は反感を隠そうともしないが、彼もまた孤独を抱える存在なのだということに気付いたことで、彼の下で修業をすることを決意する。

 『バケモノの子』は、人々が孤独を埋める物語である。熊徹は粗暴な性格のせいで渋天街の人々に忌み嫌われている、とまではいかないかもしれないが、少なくとも好かれてはいない。その点では彼は街の中で孤独なわけだが、悪友の多々良や、なにかと世話を焼いている様子の百秋坊が傍らにはいる。

 しかしそれでも熊徹は孤独だった。それは多分、自分の唯一のよりどころである武術について多々良も百秋坊もかかわりがなかったから。ただひとつだけ、自分の存在を証明してくれる武芸に、ただ一人で向き合わねばならない。それが熊徹の孤独なんだろうと思う。彼の孤独は、強さを切実に求める九太によって救われ、そのことが彼の強さをさらに研ぎ澄ます。強さは他者に与え、分かち合うことを通じてより洗練され高みへと向かってゆくのである。

 彼のライバル猪王山はだから、その意味の孤独と無縁の人物として描かれる。彼の傍らには常に武芸の技を磨こうとする弟子たちが配され、それはまさしく彼の強さを象徴する。しかしその孤独と無縁であるという属性こそが、彼に他者の孤独を見過ごさせることにもなったんだろう。一方で彼と正反対の位置にいる熊徹は、だから蓮の孤独を救うことができた。

 孤独からの救済は、『バケモノの子』においては知識を分け与えることでなされる。それは師弟関係といってもいい。師弟関係が、師と弟子の両者を孤独から救い出す。それは蓮=九太をめぐる二つの師弟関係からもそう読み取ることができる。蓮=九太は二人の師をもつ。一人は熊徹、一人は楓。一人は武芸の知識を、一人は人間の知識を、彼に与える。その両者において、双方向的な孤独からの救いが達成されていることは、知識の贈与を通して孤独もまた分かち合われ、結果それが解消するのだということを強調しているんじゃなかろうか。

 その孤独からの救済は、たとえ外面上の師弟関係が消滅しても失われることはない。与えられた知識が「心に剣をもつ」が如く本人の骨肉となっているならば、それはその人を支え続ける。蓮が最後の敵に打ち勝つシーンは、それを象徴しているように思われる。

 そして孤独の深さゆえに闇に飲み込まれてしまった最後の敵にも、ひとつの贈与がなされる。楓から蓮に受け渡されたものが、孤独に苦しむ男へとさらに受け渡されることで、物語は幕を閉じる。いやラストカットはそれじゃないけども。ということで、『バケモノの子』は、与える受け取ることの連鎖で人は救われるのだ、というお話だと思うわけです。

 

 とりあえずこんな感じで。観終わって半日も経たないうちに再見の機運がめちゃくちゃ高まっているのでまた下記化したりするかも。

 

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【作品情報】

‣2015年/日本

‣監督:細田守

‣脚本:細田守

作画監督山下高明、西田達三

‣出演