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「普通」でないことの呪いと祝福――『境界の彼方』感想

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 ここ2週間くらいかけてAmazonプライムビデオで『境界の彼方』をみていました。以下感想。

  彼と彼女は出会う。偶然に、あるいは運命的に。そして偶然に、あるいは運命的に出会ってしまった二人は、偶然にも「普通」ではなかった。少年は不死身の半妖、少女は呪われた一族の生き残り。人の怨念が寄り集まった異形の怪物「妖夢」と、その撃退を生業とする異界士とが人知れず戦いを繰り広げている世界で、普通ではない二人の物語が重なり合い、ドラマは動き出す。

 ファンタジックな世界設定で二人の男女の交感を描く『境界の彼方』は、京都アニメーションの持ち味ともいえる緻密な作画で描かれるアクションがまず魅力という気がする。『中二病でも恋がしたい!』でも挿入されていたアクションパートを、拡大してシリアスな文脈に落とし込んでいるという感じで、時にリアルな背景のなかで、時に幻想的な舞台で躍動するキャラクターをみるのは大変楽しかった。

 物語の語り方も、だんだんと登場人物の設定を明らかにしていく感じや、栗山未来の不可解ともいえる行動があとになってしっかりと理由付けが明かされたりとか、なんというか手堅い印象を受けました。登場人物たちにとって怪我をしたりとか、そういうものの重みがよくわからなかったりとか、行動の理屈だったり出来事の因果関係だったりがイマイチ掴めなかったりとか、そういう点が気にはなったんですが、まあ理屈が通ってたり因果関係がすっきりしてればおもしろいかっていうとそういうことでもないとは思うし、僕の視聴態度もあれだったので、なにか重要なことを見逃しているのかもしれません。

 

 ちょっと『境界の彼方』という作品そのものとは離れてしまうんですが、作中の部活の機能についてちょっと考えを整理したいので、以下でそういう話にそれます。半妖の少年神原秋人は、たぶん「普通」の生活を望んでいて、だからその「普通」であるために文芸部に所属している。そして、呪われた血の少女栗山未来にも、「普通」の生活を送ってほしくて、というかそういうことを彼女が望んでいると信じて、文芸部に勧誘するわけだ。

 この「普通」になるために部活に入る、というロジックは結構面白い、というか特異なんじゃなかろうか、という気がする。それはなぜかというと、他の京都アニメーションの作品*1では「普通」でなくなるための場として部活はあったんじゃないか、と考えるからです。

  たとえば『涼宮ハルヒの憂鬱』では、「宇宙人、未来人、超能力者」をマジで探しているらしい涼宮ハルヒという人間が、「普通」に生きていては遭遇しないであろうそれら「不思議」を探し出すために部活=SOS団が結成される。

 その他、『けいおん』だと軽音部という場所は、「普通」である日常を何か劇的なものへと跳躍させてしまう、そういう場所としてある、という気がするし、『中二病でも恋がしたい!』の極東魔術昼寝結社(仮)も、「普通」とは明確な境界線が引かれているという感じがする。

 『たまこまーけっと』のバトン部はちょっと位置づけに困るんですが、『氷菓』の古典部も、僕の関心にひきつけていうなら、「さりげない特別さ」が担保される空間としてある気がして、それは「普通」になんらかの意味づけがなされるという意味では「普通」の延長線上にあるのかもしれないのだけれど、ある種の「特別」な場だと思うわけです。

 『響け!ユーフォニアム』の吹奏楽部は、物語が進むにつれて(「普通」ではなく)「特別」であること=全国大会に出ることに向けて空間が編成されていくわけで、そこで「普通」であることはポジティブな意味づけがなされようはずもないわけです。

 

  しかし『境界の彼方』は、「普通」ではない人たちがそれでも「普通」であろうとする空間として部活があるわけで、それはこの作品における「特別」さに強烈にネガティブな意味が付与されていることと大きく関わるとはいえ、なんというか特異な立ち位置だなと思ったりしたのです。

 その「普通」さを希求するトーンに物語は貫かれていて、栗山未来は神原秋人に「普通になってほしい、彼もそれを望んでいるはず」という思いから、自らの命を捨てて最後の戦いに臨む。しかし、そのようなかたちで「普通」がもたらされることは否定され、かくして再び最強の妖夢境界の彼方」をその身に受け入れ、「普通」でない人生を歩んでいくことになるわけだけれど、ネガティブな特別さが剥奪されることなく、それとともに歩んでいかざるを得ない、そういう道を選び取ったからこそ、再び彼女と出会えたのかな、という気がする。ラストの再会がどのような論理でもたらされたのか僕にはよくわからなかったのだけれど、呪われた運命を背負うものに、祝福はもたらされるのだ、という願いとか祈りみたいなものがあるのかな、という気はするので、理解はしていませんが納得はしました。「普通」じゃないことの呪いと祝福とを受けて、たぶん誰しも生きていくんだろう。

 

  その後が語られるという劇場版も機会があれば視聴したいという気持ち。Amazonプライムビデオさんで配信してくれないかなーという強い気持ち。

 

 

関連

記事中で言及した京都アニメーション作品についての感想。

 

 

 

 

 


 

 

 

境界の彼方 (KAエスマ文庫)

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  登場人物が「眼鏡」だったり「妹」だったりという記号に異常に執着する姿は「お前らは動物化したポストモダンのオタクか!!!」ってなった

動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)

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【作品情報】

‣2013年

‣監督:石立太一

‣原作:鳥居なごむ

‣シリーズ構成・脚本:花田十輝

‣キャラクター原案:鴨居知世

‣キャラクターデザイン・総作画監督:門脇未来

美術監督:渡邊美希子

‣音楽:七瀬光

‣アニメーション制作:京都アニメーション

 

 

 

 

*1:当然、僕の乏しい視聴歴のなかでのあれです