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ずっと続いてゆく、きっと続いてゆく——『小林さんちのメイドラゴンS』感想

小林さんちのメイドラゴンS 4[初回限定版Blu-ray](特典なし)

 このところ、『小林さんちのメイドラゴンS』をみていました。以下、感想。

 ひょんなことから異世界からやってきたドラゴン、トールと暮らすことになった会社員女性、小林。小林の周囲にはトール以外にも異世界からの来訪者がたむろするようになり、超常的な物事に取り囲まれた日常は、しかし平穏かつ幸福に過ぎてゆく。

 2017年に放映された『小林さんちのメイドラゴン』の続編にして、2019年7月以来はじめて、京都アニメーションがテレビシリーズを手掛けた、ある種の歴史的作品でもある。1期で監督を務め、事件で亡くなった武本康弘はシリーズ監督としてクレジットされ、監督は『涼宮ハルヒの憂鬱』、『響け! ユーフォニアム』の石原立也が引き継いでいるほかは、メインとなるスタッフはほぼ共通で、ルックも見事に連続している。

 1期で主題としての「異質なものとの共存」はほとんど語り切っているようにも思えて、この『S』ではそこから新たな問いを発するというよりは、彼女たちが生活していること、それ自体を祝福するかのような調子が強い。終盤でトールの過去が明らかにされるが、それはキャラクターを決定づける運命的な過去の暴露というよりは、なにか親しい友人の思い出話を聞いているような趣を感じる。

 我々が日々享受する、時に苦痛で、あるいは退屈で、しかし時たまえも言われぬ喜びが湧いてくる、そのようなものとしての日常。それらを擁護することは、『小林さんちのメイドラゴン』の、あるいは京都アニメーションのフィルモグラフィに通底する一つの課題といってもよいと思う。

 たとえば『けいおん!』で「終わりのある青春」という日常の喜びと幸運、きらめきを提示したが、京都アニメーションを離れて手掛けた『平家物語』(2021年)で、まさに終焉を迎える世界でそれでもそこで生きられる日常を、その呼吸と祈りとをフィルムに刻印して肯定してみせた。一方でこの『小林さんちのメイドラゴン』で描かれるのは、明確な終わりは意識されない、しかし「いつか」は終わりが来るであろう、のんべんだらりと続く日常である。それは先のみえない悪夢のただなかにいるのではないかと時たま悲観したくなるいま・この我々の日常に、なんとなく寄り添ってくれている、という気がする。山田尚子という作家は、たとえ世界が終わっても確かにそこに光るものがある、それが残るのだと琵琶を携えた少女に託したが、この京都アニメーションのフィルムは、この幸福が「ずっと続いていく」こと——それがたとえ甘いフィクションに過ぎなくても——を信じ、祈る。

 このような仕方で、2010年代の京都アニメーションが反復、変奏し、鍛えてきた主題が、2021年にあっても別様な仕方でまた鍛えられていることを、わたくしは嬉しく思う。

 

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 わたくしがこの作品で言いたいことは、下の記事で言い尽くされている、ような気もしました。

amberfeb.hatenablog.com

 

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