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フィクションの記憶の場――『映画 中二病でも恋がしたい! -Take On Me-』感想

『映画 中二病でも恋がしたい!-Take On Me-』オリジナルサウンドトラック

 『映画 中二病でも恋がしたい! -Take On Me-』をみました。2期未見で行くという蛮行をやってしまったんですが楽しめてよかったです。以下、感想。

  元中二病の少年富樫勇太と、現役中二病の少女小鳥遊六花。紆余曲折を経て恋人同士になった彼らは、高校3年に進級しようとしていた。が、中二病が災いしてか、六花の成績は大学進学が危ぶまれる悲惨な状況。そんななか、六花の姉十花は、六花の将来を心配してか、自身が生活するイタリアに連れていこうとする。それを阻止するため、周囲にそそのかされた勇太と六花は、何処とも知れぬ場所を目指して駆け落ちするのであった。

 テレビシリーズ2期から約4年を経ての続編は、中二病と恋との物語に決着をつけるために語られる。京阪神から東京、そして札幌、青森と、日本各地を飛び回るロードムービーである本作がめぐるのは、いわば京都アニメーションの記憶の場ともいうべき場所の数々。修学旅行の記憶をたどる京都の旅は、『響け!ユーフォニアム』で黄前久美子が駆け抜けた宇治橋を経由し、『たまこまーけっと』の人々が暮らす商店街が印象的に映される。後者については、デラのぬいぐるみがゲームセンターのクレーンゲームの景品になっていたりして、もしかしてこの作品世界は、(私たちの世界と同様に)『たまこまーけっと』をはじめとする京都アニメーションの作品群が放映されているのかも、とか思ったりしました。

 そうしたなかでもとりわけ印象的だったのが『涼宮ハルヒの消失』の引用で、改変された世界でハルヒ・古泉と邂逅したキョンが、諸々の説明を果たしたあのファミレスのシチュエーションが、同じ舞台で反復される。かのファミレスのモデルであるサイゼリヤ北夙川店が現実世界においては消失してしまったことを考えると、なんとなく感傷的な気分になるわけですが、それはともかくとして、ここにおいて小鳥遊六花自体は重要な会話の外部に置かれる、という位置関係は、彼女が涼宮ハルヒ的な、フィクションで現実を塗りつぶす、特権的なヒロインではないのだ、という点を強調しているように感じられる。

 しかし、涼宮ハルヒではありえない小鳥遊六花は、この2018年だからこそ、(2014年3月においてはありえなかった)別のフィクションの力を借りることができたのだ。そのフィクションとはすなわち『たまこラブストーリー』であり、「変化に戸惑う少女の物語」という本作の枠組みは明確なその反復であり、小鳥遊六花というヒロインの身体には北白川たまこの走りが流れ込んでいるのである。彼女の走りのそのうちに、たとえば『涼宮ハルヒの消失』の涼宮ハルヒ、あるいは『響け!ユーフォニアム』の黄前久美子、あるいは『氷菓』の伊原摩耶花の記憶を見出すことも可能なのであり、京都アニメーションの作品群が蓄積した記憶が、この『中二病でも恋がしたい!』という作品が語りうる物語の可能性を明確に拡張している。

 だから恋人たちは、現実か、フィクションかという前時代的な二項対立を乗り越え、そしてメリトクラシーによる選抜と選別の機構である近代学校制度の呪縛など存在しないかのように、軽々といつものように出会い続けるのである。小鳥遊六花の成績不振、それが明確に予告する未来の不穏さは、ひとまず棚上げにされているが、しかしそれは決して消え去ることはない。しかし彼と彼女がさしあたってたどり着いた場所を、今は祝福すべきなのだと思う。

 

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  公開後に書いていたなら、記述はまったく違うものになっただろうなとは思いつつ、まあないものねだりですね。

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【作品情報】

‣2018年

‣監督:石原立也

‣原作:虎虎「中二病でも恋がしたい!」(KAエスマ文庫/京都アニメーション

‣脚本:花田十輝

‣演出:

‣キャラクター原案:逢坂望美

‣キャラクターデザイン:池田和美

‣音楽:虹音

‣アニメーション制作:京都アニメーション