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黄昏と殺伐の時代の生存戦略——テレビアニメ&アニメ映画ベスト10で振り返る2010年代

  はやいもので、もう2020年も暮れようという感じでございますが、2010年代からあまり遠く離れないうちに、わたくしにとっての2010年代の経験とはなんだったのか、書き留めておこうと思います。この試みはなかなか難儀なもので、総花的に語ろうとするといつまでたっても終わらず中途で投げ出してしまったのですが、さしあたってこの10本というリストを作成し、そこにわたくしの経験を託すという仕方であれば、零れ落ちるものは膨大になるでしょうが、ひとまず形にすることはできるだろうと思いまして、その方針でやっていくことにしました。

 さしあたってテレビアニメ10本、アニメ映画10本をセレクトし、わたくしの10年代を語っていきます。わたくしのフィクション経験を広くカバーしたい気持ちがあるため、制作会社や制作者などの固有名がなるべく重複しないかたちで選出しました。よって純粋なベスト10とはやや趣が異なるわけですが、やっていきましょう。

 テレビアニメ編

  以上。

遠まわりする雛

 このディケイドを象徴する一本を選べ、といわれたら、わたくしが迷わず選出するのは氷菓(2012年)である。この作品に先立つ『けいおん!』(2009年)、そしてのちに制作された『たまこまーけっと』(2013年)、『響け!ユーフォニアム』(2015年)等、ゼロ年代後半から10年代を通して、京都アニメーションの仕事は非常に強い存在感を放っていたことは確認するまでもない。とりわけ、わたくしは『たまこまーけっと』と『響け!ユーフォニアム』に強い愛着をもっているし、ベスト10に選出するかどうか非常に迷いもした。だが、そうした作品群で語られる問題系は、ほとんどすべてこの『氷菓』のなかに見出すことができる、というのがわたくしの見立てであり、ゆえにそれらの作品群の代表として、ここでは『氷菓』を挙げた。『けいおん!』・『たまこまーけっと』などで感受されるただ過ぎてゆく日々への愛しさも、『響け!ユーフォニアム』でドラマを駆動する、「特別さ」への飢えと苦しみも、すべては『氷菓』のなかにある。それが数多い京都アニメーションの秀作のなかでも、わたくしがとりわけこの『氷菓』を高く評価する所以である。そしてなにより、結部の黄昏の美しい情景は、この我々がまさに黄昏ゆく列島のなかで生きた10年代を象徴する、決定的なシーンであったに違いない、と思う。わたくしが個人で同人誌を出そうと思ったのもこの作品と出会ったからにほかならず、その意味で、わたくしの人生にとっての10年代はこの『氷菓』によって導かれたわけです。

 10年代の終わりに起こった痛ましい出来事について、わたくしは未だ、自分自身納得する仕方で語ることはできない。ここではただ、10年代は京都アニメーションの10年だった、と総括したい。

銀河美少年

 10年代を振り返ったとき、その初期に放映されたSTAR DRIVER 輝きのタクト(2010-1年)の眩いばかりの明るさに、微かな驚きを覚える。『桜蘭高校ホスト部』(2006年)以来の監督・五十嵐卓哉、脚本・榎戸洋司の座組で制作されたこの作品の底抜けの前向きさに、わたくしは今でも強い愛着を覚えている。結部のあまりに美しい光景を前にしてなお、「でも僕たちはこれから、これとは違うもっと凄い空をきっと見るさ」と言い切ってみせる胆力と、先に触れた『氷菓』のラストに漂う雰囲気とは、ある種の切断線が見出せるかもしれないが、むしろその両者混淆が10年代でもあったのかもしれない、と思う。その意味で、黄昏と殺伐の10年代的というよりは、むしろゼロ年代の躁を引きずっている作品なのかもしれないが、まさに世界の終わりのような状況(2011年4月3日)のなか放映され、そしてこの世の終わりをぶっ飛ばして世界を救った最終話「僕たちのアプリボワゼ」のことを、いつまでも忘れたくない、と思う。その後、五十嵐・榎戸コンビは精神的な続編(要出典)ともいえる『キャプテン・アース』(2014年)が(わたくし自身はこちらも快作だと信ずるのだが)ふるわなかったからか、『文豪ストレイドッグス』なる愚にもつかない作品に拘束されているようだが、いつかまた、オリジナルアニメでスマッシュヒットを飛ばしてくれると信じてやみません。

 

もう誰にも頼らない

 『STAR DRIVER』の2クール目と同時期に放映され、そして同じく放映中に東日本大震災にみまわれた魔法少女まどか☆マギカ(2011年)は、10年代の雰囲気を見事に先取りし、あるいはある意味で10年代なるものを決定づけた作品であった、と総括しても間違いではないだろう。10年代の殺伐とした雰囲気、10年代の鬱みたいなものを先取りして体現した作品として、この作品を挙げざるを得まい、という気がする。ある作品が時代を予言しているだとか、その後の方向性を決定づけたとか、そうした物言いはちょっと許容しがたく素朴であると思うし、往々にして牽強付会であるとも思う。しかし、この作品にはそうした無法な物言いをさせる魔力が宿っていることは否定しがたい。90年代の『新世紀エヴァンゲリオン』(1995年)、ゼロ年代の『涼宮ハルヒの憂鬱』(2006年)に匹敵するインパクトがあったのはやはり『魔法少女まどか☆マギカ』であった、というしかあるまい。仕掛けはニトロプラス『スマガ』の再話のような趣もあり、また『仮面ライダー龍騎』との類似もしばしば指摘されるところではあるが、あのタイミングで、あのお話が語られたという偶然には改めておののくばかりである。最終3話放映日を告げるあの新聞広告を、わたくしは未だに大事にとってある。脚本の虚淵玄は『Fate / Zero』(2011-2年)や『PSYCHO-PASS サイコパス』(2012年)など、10年代のアニメシーンに一定の貢献を続けたと思うが、やはり決定的だったのがこの作品であることに疑いはないでしょう。時間遡行(ないしループ)による破局の回避、というモチーフは(そもそも使い古された仕掛けであることは措くとして)10年代の作品をながめてみたときいくつもの作品のなかに見出される。たとえば後に触れることになるだろうあの超大ヒット映画は言うまでもなく、『STEINS;GATE』(アニメは2011年、原作ゲームは2009年)、『僕だけがいない街』(アニメは2016年、原作は同年完結)など。10年代の流行はタイムリープだった、みたいな雑な総括をするつもりはないし、それらを『まどマギ』フォロワーだとかいうつもりもないが、そうした仕掛けをつかった秀作がいくつもあったな、と回顧するくらいは許されるのかもしれない。

 

第24駅 愛してる

 『まどマギ』放映終了と入れ替わるように、幾原邦彦による輪るピングドラム(2011年)の放映は始まった。この作品もまた、殺伐とした10年代の先取りとして読めるのかもしれない。2019年に催された幾原邦彦展のタイトルは、「僕たちをつなげる欲望と革命の生存戦略」。生き延びるためには戦わなければならないのだ(ぼんやりしていては生きていくこともできぬのだ)という認識は、ゼロ年代から継続するモードなのかもしれないとも思うが、そこに「生存戦略」というキャッチーなフレーズをバチっと嵌めてみせたセンスがまず卓抜だろう。ゼロ年代はほぼ沈黙を保った幾原邦彦の10年代は、『輪るピングドラム』に始まり、『ユリ熊嵐』(2015年)、『さらざんまい』(2019年)と続き、一貫して「きっと何者にもなれない」我々のための生存戦略を提示しようとする誠実な仕事ぶりであった。三作いずれも完成されているが、2クールの尺を活かしたある種の「遊び」がキャラクターに愛着と深さとを与えた『輪るピングドラム』が頭一つ抜けていると思う。

 

第一話 東京の魔女 

 『輪るピングドラム』は、我々の過去を物語中に大胆に組み込んだ作品でもあったが、そうした仕事では監督・水島精二と脚本・會川昇のコンビが大きな存在感を発揮した。2011年に放映された『UN-GO』は、坂口安吾の原作を換骨奪胎し、真実と虚構が葛藤する空間としての「戦後」——それは我々が日常用いるところの戦後とはまったく異なる含意をもってはいるが——を描き出し、続くコンクリート・レボルティオ〜超人幻想〜(2015-6年)では、超人・異能が跋扈するもう一つの昭和史を彫琢し、そして我々にとってフィクションとは何か、という巨大な主題と真っ向から対決してみせた。會川昇という脚本家は、戦争・戦後とフィクションとの緊張関係を『機動戦艦ナデシコ』以来幾度も反復・変奏してきたが、この作品はいわば集大成といっていいだろう。90年代以来、歴史と記憶をめぐる緊張関係はこの列島で持続してきたわけだが、この10年代にいたってほとんど底が抜けたような雰囲気がでてきたな、という感が強い。我田引水の偽史を「真実」といってはばからない連中が幅を利かせるいま、我々はまた別のさまざまな仕方で、過去と誠実な関係を結ぶ方途を探るほかないのだろうし、10年代のフィクションのなかにはそうした縁がきっとあるはず、と思う。

 

「明日に向かって、えくそだすっ!」

 以上5作品は、なんというか時代の空気と強くマッチした作品としてセレクトしたが、以下の5作品は、制作会社・制作者の固有名とより結びついた作品を選んだ。10年代に印象的な仕事を残したスタジオとして、P.A.WORKSを挙げないわけにはいかないだろう。安藤真裕監督『花咲くいろは』(2011年)、橋本昌和監督『TARI TARI』(2012年)などに愛着を感じているが、一本選ぶならSHIROBAKO(2014-5年)。『花咲くいろは』に続く「働く女の子シリーズ」の2作目だが、「働く」ことのディティールにおいては、さすが見知った現場を描くだけあって圧倒的な説得力であった。そのうえで素晴らしいのは、この『SHIROBAKO』が、アニメはいかにしてつくられるか、という問いに対して、それは「絵を描く」などもろもろの作業によってつくられる、ということ以上に、「移動」のモーメントによってこそつくられるのだ、と喝破した点である。それは主役の宮森あおいが、原画回収や諸々の業務のため、日々東京都内をせわしく「移動」しているから、というだけではもちろんない。宮森たちが非‐東京から「上京」してきた存在であることで、「移動」の含意はより複層的になる。そして最後には、完成したフィルムを届けるために列島各地へ走るクライマックスが用意されている。監督の水島努は『ガールズ&パンツァー』(2012-3年)も手掛けたが、「戦車は火砕流のなかだって進むんです」という精神性の表明は、この『SHIROBAKO』とも響きあうところがあるのかもしれない。

 個人史的な部分とのシンクロ、あるいは西東京への愛着という極めて私的なところから、この『SHIROBAKO』に惹かれる点は大なのであるが、それ抜きにして、『SHIROBAKO』は10年代にとって重要な作品であったと思います。

 

TVアニメ「リトルウィッチアカデミア」VOL.9 DVD (初回生産限定版)

 トリガーもまた、10年代に印象的な仕事を残した制作会社だろう。ガイナックスから独立した大塚雅彦今石洋之らが同社を設立したのが2011年。以降、今石は『キルラキル』(2013年)、『プロメア』(2019年)などの監督を務めたが、わたくしとしては『天元突破グレンラガン』を超えるテンションの作品はつくりえていない、という気がする。一方で、吉成曜によるテレビアニメ初監督作品であるリトルウィッチアカデミア(2017年)は、ガイナックスのある部分を見事に継承し、そうしたうえで新たな方向性を開拓していったという意味で、トリガーという会社の存在価値を見事に証明した作品であったと思う。次のディケイドで、わたくしなどが想像もしないようなアニメをきっとつくってくれるはずだ、と信ずる。

 

#1 テニスサークル「キューピット」

 10年代にハイクオリティな作品を継続してつくり続けた監督の一人が、湯浅政明であることは論をまたない。2010年の『四畳半神話大系』にはじまり、2014年の『ピンポン THE ANIMATION』、そして新たに制作会社サイエンスSARUを立ち上げて劇場に殴り込みをかけた『夜は短し歩けよ乙女』・『夜明け告げるルーのうた』(いずれも2017年)、Netflixで配信された『DEVILMAN crybaby』(2018年)と、とりわけ10年代後半の精力的な仕事ぶりが目立つが、あえて一本選ぶならば四畳半神話大系(2010年)。森見登美彦による原作にオリジナルの挿話を大胆に加え、奇妙な大学生のユートピアとしての不可思議な京都を見事に成立せしめ、とにもかくにも「部屋の外に出る」ことが肝要なのだと我々に教えるこの作品は、一話完結で並行世界を移動していく形式がテレビアニメというフォーマットと見事に調和していたように思う。『ピンポン』・『デビルマン』いずれも「いまアニメ化するの?」という野暮なつっこみなど粉々に砕く強度をもった力作だし、『夜明け告げるルーのうた』以降『きみと波にのれたら』に通底する、災後の時代と正面から向き合うテーマ設定を高く買いたいが、肩に力を抜いて我々それぞれ不如意の人生をともに歩いてくれるような味わいの『四畳半神話大系』が、わたくしはやはり好きなのです。

 

GATCHAMAN CROWDS SPECIAL PRICE EDITION [Blu-ray]

 監督といえば、中村健治の仕事も10年代を象徴するものとして参照しておいたほうがよいだろう。江ノ島を舞台にしたすこしふしぎな青春ドラマ『つり球』(2012年)、経済的な語彙をバトルアクションに持ち込んだ『C』(2011年)はそれぞれ魅力ある佳作だったが何より『科学忍者隊ガッチャマン』のスピンオフにして、現代社会におけるヒーローとはいかなる存在かを問うたガッチャマン クラウズ(2013年)は、10年代的なるものの空気感のようなものが凝縮されている。それぞれが「見たいものしか見ない」ことでインターネット上に奇妙にいびつな公共スペースが出来上がってしまっている現時点からすると、同作および続編の『インサイト』はいささか楽天的にすぎるという気もするのだが、そうしたサイバースペースとヒーローの夢をぎりぎり信じることができたのが、10年代なかばのわたくしたちであったかもしれぬと思う。神山健治攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』(2002-3年)・『東のエデン』(2009年)の、10年代における後継ともいう位置付けも可能だろうし、そういう意味でも重要な作品でしょう。

 

放浪息子 1 [Blu-ray]

 10年代について語ろうというのに、岡田麿里の存在を避けて通るわけにはいくまい。『とらドラ!』(2008年)の長井龍雪田中将賀の座組で制作され、我々のノスタルジーと巧みに共犯関係を結んだ『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』など、時代の雰囲気みたいなものを勘案するとセレクトしたくなる気がするし、先述した『花咲くいろは』は非常に愛着がある。監督も務めた『さよならの朝に約束の花をかざろう』(2018年)は吉田明彦の幸薄そうなキャラデザと見事な作画が印象に残るし、『心が叫びたがってるんだ。』(2015年)と『空の青さを知る人よ』(2019年)もそれぞれ魅力ある佳作だと思う。しかし、シリーズ構成をつとめた作品でベストは放浪息子(2011年)だろう。この作品で岡田の作家性がどの程度発揮されているといえるのか、わたくしは判断できないが、物語の始まるタイミングをずらして再構成し、散漫な原作の散漫さを一定程度保ちつつ、適切な着地点を見出したという点では巧妙な職人芸であったと思う。とはいえこの『放浪息子』の魅力はなんといってもユニークなルックだろう。今年劇場公開された『どうにかなる日々』は、志村貴子による原作の雰囲気をくみ取って適切なアダプテーションがなされていたと感じるが、圧倒的な世界が確固としてある『放浪息子』と比べるとややオリジナルな魅力には欠けるきらいがあるなと感じてしまい、この『放浪息子』の恐るべきオーパーツぶりにおののくばかりである。まだ「何者でもない/何者かもわからない」子どもたちの物語の残酷さとやさしさは、10年の時などものともしない普遍性が宿っている。

 

STAGE13 きっとまた旅に出る

 以上、10作品とその周辺について、思うところを書き連ねてきた。語り残したことは多いし、そもそも未見の作品は数え切れないほどある。P.Aの仕事であるなら『凪のあすから』を未見なのは痛恨だし、時代の空気感みたいなもののシンボルとして『少女終末旅行』は今後絶対参照されるだろうという気はするのだけど。また、『進撃の巨人』(2013年~、荒木哲郎監督、WIT STUDIO)のインパクトは大きかったと思うし、『宇宙よりも遠い場所』(2018年、いしづかあつこ監督、 マッドハウス)は純粋にベストを選出するなら絶対入るに違いないのだけれども、泣く泣く外しました。というわけで語り残したことは数え切れませんが、以下、アニメ映画編に続きます。

 

アニメ映画編

 

リズと青い鳥 台本付初回限定版 Blu-ray

 2010年代を経験した我々は、幸運であったと確信する。2010年代というくくりを抜きにして、50年、いや100年単位で歴史に燦然と残るであろう空前絶後の仕事をリアルタイムで経験することが叶ったのだから。その傑作の名はリズと青い鳥(2018年)。鳥籠のごとき狭い学校空間で取り交わされる言葉、所作、機微、そうしたもので作品世界を充填させ、我々が往々にして散漫に過ごす現在という時間そのものが、本来は異様に充実している(かもしれない)のだと我々に教える。そこに超時間的な普遍性が達成されていると確信するし、また、「特別さ」をめぐって演じられるドラマにおいて、我々が不可避的にそのなかを生きる近代という制度と、この「わたし」たちとの葛藤とがはっきり刻印されているという点において、明確に「いま」の映画でもある。2010年代は京都アニメーションの10年であった、と上で書いた。『たまこラブストーリー』(2014年)や『聲の形』(2016年)などその優れた仕事には枚挙にいとまがないが、その究極的な達成はこの『リズと青い鳥』に結実していると言い切っていいだろう。この作品が教える「ちがう歩幅で一緒に歩く」ことの喜びは、2010年代を経たわたくしたちに手渡されたかすかな倫理の礎なのです。

 

君の名は。

 2010年代はまた、新海誠という作家が見事に飛躍した10年でもあった。『星を追う子ども』(2011年)の明らかな失敗から2年後、傷ついた男女の交感を描く中篇『言の葉の庭』(2013年)で作風を回帰させたかと思いきや、君の名は。(2016年)で想像もできないような大ホームランをぶちかまし、旧来のファンの度肝を抜いたことは未だ記憶に新しい。大塚英志東浩紀の対談『リアルのゆくえ』(2008年)のなかで、プライベートな作風の作家(社会みたいなものに言及しようという気がない感じのする、みたいなニュアンスだったと記憶)として、庵野秀明と並んで新海誠が言及されていたが、この両者は10年代にいたって批評家の目を見事に裏切ってみせたといっていいだろう。『秒速5センチメートル』(2007年)などで発揮されたセンチメンタリズムが、災後という時空間のなかで社会的なものとうまく接合した結果なのかもしれないとも思うが、過去と記憶をめぐるゆらぎをSF的なガジェットの導入によってエンタメとして語り切ったこの作品は、多くの人に訴えかける力が確かにあったと思う。『天気の子』(2019年)も『君の名は。』の成功にあぐらをかくことなく新たな一歩を踏み出そうとするよい仕事だったと思うが、安藤雅司の圧倒的な腕力が発揮された『君の名は。』が作品としてはいまのところベストだろう。

 一方、新海以前の「ポスト宮崎駿」(なんちゅー下品なレッテルだ)筆頭であった細田守は、10年代においては非常にプライベートな方向に進んでしまい、わたくし個人としてはなんとなく時代感覚と距離が離れてしまったという感じがする。強力なプロデューサーがこの極めて優れた演出家を操縦して、時代や世界とふたたび向き合うような作品をつくらせてほしいと願う。

 

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q EVANGELION:3.33 YOU CAN (NOT) REDO.(通常版) [Blu-ray]

 10年代における転換を象徴する作品として最もふさわしいのは、ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q(2012年)だろう。『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』(2009年)の躁と比較したときの圧倒的な10年代の鬱。東日本大震災によってプロットが大きく変わったとまことしやかにささやかれているが、新劇場版完結のあかつきにはそこらへんの事情がつまびらかになるのだろうか。ともかく、「世界が終わってもいい」と願ってしまったことの仮借ない代償として、世界の終わりを真っ正面から突きつけたこの『Q』は、時代と誠実に向き合おうとした結果なのだと思う。そんなに簡単に世界は終わらない、あるいは終わったとしても生活は続くのだと謳いあげた『天気の子』は『破』『Q』への7年越しのアンサーであったのだろうか。ラストの赤い大地をとぼとぼと歩みゆく三人を映した画は、『氷菓』のラストと並んで、これこそ10年代のフィクションを象徴する光景だったのだとわたくしは強く思う。

 

劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [新編]叛逆の物語

 『エヴァQ』と並んで10年代の殺伐を体現していたのは劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [新編] 叛逆の物語』(2013年)。世界救済のその後の物語として語られた、悪夢と戯れるビューティフル・ドリーマー。「終わりなき日常」と決別し、現実という地獄と対決すること。絢爛な美術とリッチなアクションに彩られ、テレビシリーズのさらに先を行く彼岸へと突き抜けた、見事な仕事であったと思います。10年代の虚淵玄の仕事では、結局のところこれが最上のものだったのかもしれません。

 

涼宮ハルヒの消失 限定版 [Blu-ray]

 無論、10年代はそうした殺伐さによって覆いつくされたわけではなく、我々の生活そのものの価値というか輝きみたいなものに光を当ててゆくような流れも確固としてあって、それをなかったことにしたならばそれはわたくし自身の経験に礼を失することになるだろう。ある意味、それはゼロ年代の明るさの尻尾でもあるという気がして、アニメ版『涼宮ハルヒの憂鬱』(2006年、2009年)の実質的な完結編たる涼宮ハルヒの消失(2010年)が10年代の始まりに公開されたということに、わたくしなどはなにか意味を読み込みたくなってしまう。『涼宮ハルヒの憂鬱』は、SOS団の他愛もない活動を通して、我々がなんてことなく漫然と過ごす「日常」そのものが豊かになりうることに、ヒロインの涼宮ハルヒが気付いてゆく物語であり、同時に語り手のキョンが、そうした日常空間から遊離した、非現実的な世界に惹かれてゆく物語でもある。キョンが「不思議」なことが存在する世界を自覚的に選び取り、彼女と彼とが日常と非日常の重力にそれぞれ引き裂かれたところで『消失』は終わる。その後、京都アニメーションの優れた仕事は「日常」の重力圏内において達成をみたという気がするし、以下であげる仕事もまた、そうした文脈に位置付けることができるのかもしれない、とも思う(そういう見立てをやるなら高畑勲以来の文脈を~云々という脳内の声をきかなかったことにし、以下叙述が続きます)。

 

この世界の片隅に

 この世界の片隅に(2016年)は、「日常」の積み重ねによってある時代を再構築することができる、そうしなければならない、という強い意志がフィルムにみなぎる力作。先にもふれたように、歴史と記憶をめぐる言説空間が異様なグロテスクさをまといはじめたこの10年代にあって、こうした誠実な試みがフィクションにおいてなされたことに微かな安堵を覚えるのだが、単に安堵しているだけではなにもよくはならねえだろう、とも自戒をこめて思う。

 

花とアリス殺人事件 [Blu-ray]

 「日常」をめぐる作品では、花とアリス殺人事件』(2015年)もまた群を抜いた素晴らしさ。ゼロ年代につくられた実写映画の前日譚を、主演二人をそのままにアニメでつくってしまう、という企画自体に恐れ入るのだが、ロトスコープの手法をもちいた近年のアニメ映画では断トツにそのよさを活かしえていたと感じる。日常世界のささやかな冒険をみずみずしく描く――と形容するといかにも凡庸だが、超絶的に非凡な作品だと思うし、その非凡さを適切に言語化できぬわたくしの非力が憎い。

 

ANEMONE/交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション

 『スター・ウォーズ』の例を引くまでもなく、10年代は(10年代”も”といったほうが適当か)遺産をいかに使いまわして新しい物語を語るか、ということに作り手は苦心していたようだったが、『ANEMONE/交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション(2018年)はとりわけ鮮烈な印象を残した。エヴァ新劇場版も、テレビシリーズの再演という趣は無論あるが、この『ANEMONE』はさらにその一歩先をゆき、無限に繰り返される悲劇から彼女を連れ出してみせる、その役割の振り当て方の妙でまったく新しい『エウレカセブン』の可能性を拓いてみせた、と感じる。

 

ペンギン・ハイウェイ

 スタジオでいえば、『陽なたのアオシグレ』(2013年)や『台風のノルダ』(2015年)などの愛すべき小品を制作したスタジオコロリドが、2018年に初長編のペンギン・ハイウェイ(2018年)を世に送り出したことはまことに喜ばしい。森見登美彦の原作を見事に咀嚼し、アニメ的なメタモルフォーゼの快楽に満ちた快作だったと思います。2020年には『泣きたい私は猫をかぶる』・『BURN THE WITCH』を手掛けているが、20年代にはさらなる飛躍を遂げてほしいと願う。

 個人的には『サカサマのパテマ』(2013年)、『アルモニ』(2014年)の吉浦康裕を強く応援していたのだが、10年代後半には大きな仕事からは離れていたようだ(『パトレイバーREBOOT』も本格的にやる感じではなさそうだし)。新作長編『アイの歌声を聴かせて』が2021年に公開されるそうですし、20年代に大ホームランを打ってくれるに違いありません!

 

傷物語〈Ⅰ鉄血篇〉

 延期に延期を重ねた傷物語(2016-7年)は、オリンピックと万博の夢の再演に取りつかれたこの10年代に公開され、そのことによって強烈な磁場をまとった。まさか公開当時は東京オリンピックが再び幻になろうとは想像もしなかったが、そのことによってこの『傷物語』へのまなざしもまた変わってくるのかもしれない。我々が生きるこの近代の廃墟で、死ぬこともかなわず延命させれらること。それが10年代の我々の暗喩でなくてなんなのだ。そのことを思うと、神山健治監督『ひるね姫』(2017年)が安易なオリンピック礼賛的な調子をまとっていたことは非常に残念というほかなかった。

 宮崎駿風立ちぬ』(2013年)や高畑勲かぐや姫の物語』(2013年)が素晴らしかったことをわたくしも認めるところだが、宮崎駿高畑勲のキャリア全体を通して代表作とされるのはその2作品ではないだろう、というところで10年代ベストとして取り上げることはしなかった(この感じはこのあいだの再上映や高畑勲展でより強まった次第)。

 

 以上、テレビアニメ10作品、アニメ映画10作品から、わたくし個人のフィクション経験——ないしそれによって再構成された世界への認識——をたどってきた。10年代にマスに訴えかけた『ラブライブ!』なんかをガン無視していることからもわかるように、これは極めて私的な振り返りである。ひとまず、わたくしがわたくし自身の10年を振り返るための里程標ができただけでもよしとしましょう。

 「黄昏と殺伐の時代の生存戦略」と銘打ってはみたが、思い入れのある20作品をすべてそのロジックに隷属させるのは無理な話だし、またそんな語りはフィクションに礼を失しているというものでしょう。わたくしにとって10年代のトーンは「黄昏と殺伐」であったが、むしろそこからはずれてゆく無数のことどもの豊かさ抜きでは、「生存戦略」などありえないのです。

 というわけで、みなさんなりの10年代振り返りをそれぞれまとめてください。それでこそ我々の10年代の真の厚みがわかろうというものです。お願いしましたよ。

 

 

追記(2021/07/20)

  鈴木ピク@punpkin_crackさんが同コンセプトで記事を書いてくれました!うれしい!

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さめぱさんも類似の趣旨でわたくしの1年前にやられておりました。

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