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何処にもない場所、どこにでもある幸福——アニメ『明日ちゃんのセーラー服』感想

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 このところ、『明日ちゃんのセーラー服』をみていました。以下、感想。

 あこがれのセーラー服。若かりし頃に母も袖を通していたというそれに憧れ、少女は学び舎を選んだ。山あいの村にある、歴史ある女子中学・高等学校。母に仕立ててもらったセーラー服をまとい、彼女は校門をくぐる。しかしそこでは、すでにセーラー服は制服ではなくなっていて、それでも彼女は、セーラー服を着てそこに通うことを選ぶのだった。

 博による『となりのヤングジャンプ』連載作品のアニメ化。監督は『アイドルマスター SideM』で監督をつとめた黒木美幸、アニメーション制作はA-1 Picturesの流れをくむCloverWorks。河野恵美によるキャラクターデザインはどこか懐かしさを感じる原作の雰囲気を残しつつ、キュートな印象を残す。時に大胆なほどキャラクターの描画が稠密になるのがこの作品の特異な点といってもよいだろう。そのようにして鮮烈に輝く一瞬を切り取ってみせる所作はアニメ的というよりは絵画的・写真的といっていいかもしれないが、「青春の記憶に刻まれるであろう瞬間」をクローズアップするこの演出は、この作品の味わいになっている。

 山あいの農村を描いた背景美術は稠密で美しく、この水準でテレビシリーズが制作されるということに素朴に驚く。この背景美術は、おそらく特定のモデルをもたず、様々な風景のコラージュで成り立っているものと推察するのだが(たとえば主人公の通う学校の校舎は東京都日野市に実在するものをモデルにしているようだが、舞台は明らかに日野市よりも鄙びている)、それによってリアリティは備えているが実在はしない、ある種のユートピア的空間が立ち上がる。それは、新海誠監督による『天気の子』など稠密な背景美術を特色とする作品が現実空間に根差した舞台を設定していることと好対照かもしれない。そしてこの作品のドラマは、現実に紐づいた特定の場所ではなく、むしろユートピア的空間を必要とするものとなっている。

 ややエキセントリックな田舎者の少女が、進学した先でさまざまな出会いを経験するという構造は、たとえば今年アニメ化が予定されている高松美咲『スキップとローファー』と共通するが、『スキップとローファー』がリアリスティックな人間関係の機微によってドラマを駆動させるのに対して、少女のエキセントリックさが幸福な時間を形作っていく『明日ちゃんのセーラー服』の作劇は微温的で楽天的である。主人公のキャラクター造形も、少女もマンガ的な美少女である/そうではない(作中の設定としても同様)という点で対照をなす。無論これはどちらがすぐれているというものではない。こうして比較することで、作品の舞台のユートピア性がドラマと不即不離にあることを明瞭にしたかったのだ。

 こうした少女を中心として編成されたユートピアは、日本列島におけるアニメーションにおいてある種の系譜を形作っているといってもいいだろうが、たとえば『けいおん!』や『たまこまーけっと』などの京都アニメーションの仕事の延長上に、この『明日ちゃんのセーラー服』を連想することは容易い。演出の手触りはまったくことなるとはいえ、少女が日常生活のささやかな幸福を感受するさまを積み重ねることで、わたしたちの平凡な生活世界を肯定する方法の一つを教えるという、その大きな問題意識は共有されているといっていいと思う。どこにもない場所を舞台に、どこにでもあるはずの幸福を映し出してみせたこの作品を、わたくしは嫌いになれようはずもない。

 

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2010年代は京都アニメーションの10年であったといっていいと思いますが、こうして京都アニメーション的なるものが拡散、浸透している(この形容は適切なのか?)ことは、たぶん、喜ぶべきことなのでしょう。

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 1話をみた段階では「制服を着る」ことのドラマとして『放浪息子』なんかを想起したんですが、そこらへんの葛藤はわりとイージーにクリアされましたね。

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