宇宙、日本、練馬

映画やアニメ、本の感想。ネタバレが含まていることがあります。

愛しているから────『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』感想

小説 機動戦士ガンダムSEED FREEDOM (上) (角川コミックス・エース)

 『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』をみました。以下、感想。

 遺伝子操作された人類=コーディネーターと、そうでない人々=ナチュラルが抗争し、地球と宇宙が破局的な大戦争を経験した世界。遺伝子の情報をもとに人々に最適な役割を振り分けるディストピアの実現は阻まれたが、しかしテロリストは跋扈し戦禍は止むことがなかった。先の戦争で決定的な役割を果たしたモビルスーツパイロット、キラ・ヤマトは、世界平和監視機構コンパスに所属し、そうした事態の対処にあたっていたのだが、彼らの活動を利用して新世界秩序を構想するものたちの陰謀が進行していた。

 2002年から2003年に放映された『機動戦士ガンダムSEED』シリーズの最新作は、『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』後の世界を舞台に、キラ・ヤマトたちの戦いを描く。企画が進行していることは周知されながら、脚本家の両澤千晶の死によって日の目をみることはないかと思われた劇場版が、ノベライズに携わった後藤リウを脚本に迎え満を持して公開された。

 『機動戦士ガンダムSEED』といえば、まさにインターネットの大衆化と同時代の減少だったという気がしていて、とりわけ『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』はさまざまな角度から強烈に批判され、総体としてなんとなく「馬鹿にしていい」シリーズというレッテルがインターネット上で貼られてしまった/貼られてしまっている気がするのだが、この『FREEDOM』はそうした作品の傷を引き受け、見事に総決算を遂げたといっていいと思う。

 『DESTINY』で批判された点の一つである、キラ・ヤマトのほとんどご都合主義的ともいいうる超人的な強さも、それが必ずしも戦争の根絶という究極の目的に資するものではないことが示唆されることで脱臼させられ、またヒロインのラクス・クラインも(「出生の秘密」を後付けされるという荒業によってではあるが)そのカリスマにロジカルなバックボーンが付与され、この『FREEDOM』によって『SEED』の作品世界そのものが救われているようなところがある。

 そのラクスの語る、この作品中屈指のパンチラインであろう「必要だから愛するのではありません。愛しているから必要なのです」というフレーズは、『SEED DESTINY』でかならずしも十分に論駁されたとは言い難かった「ディスティニー・プラン」へのアンサーであると同時に、『SEED』というかならずしも出来がよくない作品を愛してもよいのだというメッセージを通じて、さまざまな思いを長年抱えてこの映画までたどり着いたかつての視聴者を肯定してみせたという意味でも、この作品を象徴するものだろう。

 ドラマの軸をキラとラクスに絞り、もう一人の主人公ともいうべきアスランカガリは見せ場を与えつつ(アスランはすべてのシーン見せ場しかないという感じだが!)も葛藤させずにドラマ上は脇に置くという采配は功を奏していたでしょう。敵役はあからさまに陳腐だしキャラクターデザインもさすがに古びていると感じるが、それを補ってあまりあるサービスぶりにほだされ、なかなか嫌いとはいえない、愛嬌のある映画だと思いました。