クリストファー・ノーラン監督『オッペンハイマー』の原作本を読みました。以下、感想。
第二次世界大戦下でロスアラモス研究所の所長としてマンハッタン計画にかかわり、「原爆の父」ともよばれたJ・ロバート・オッペンハイマー。戦後は赤狩りの旋風のなかで名誉を傷つけられ、政府の職からは離れることとなった、その栄枯盛衰をたどる。
本書はクリストファー・ノーランによる映画の原作としてクレジットされていて、もちろん様々な挿話は本書に取材したものだろうが、映画をご覧になった方なら容易に想像がつくとおり、映画化にあたって語り口にきわめて個性的な脚色がなされており、単純に下敷きになった本であるとは言い難い。
たとえば渋沢栄一を主役にした大河ドラマ『青天を衝け』は、渋沢の生涯の見立てはおおよそ鹿島茂による渋沢伝に拠っていると感じたが、一方で『いだてん』は田畑政治の側近による評伝に取材してはいても、その生涯の意味付けという点では独自の解釈をしている。『オッペンハイマー』は当然、後者のように原作本を「使って」いるわけです。
わたくしが読んだのは近刊の早川書房により再刊された文庫本3冊ではなくてハードカバー上下2分冊だが、およそ1000頁弱の書籍を逐一映像化していたら3時間の尺におさまるわけがないのは容易に想像がつくが、しかし本書の情報量ははっきりいって想像以上だった。
特に印象に残ったのは、オッペンハイマーが聴聞会で追及される要因となる、戦前の共産党とのかかわりについてかなり詳細に記述していることで、ここまで交友関係をつまびらかにできるものかと驚く一方で、しかし素人読者からするとはっきりいって全体の理解に資するディティールではないという気もして、翻訳がこなれていない生硬な調子もあって、読むのに相当の忍耐を要求する本だと感じたのが正直なところ。脚注はほとんどカット、参考文献リストも削除など、書籍としてとても誠実なものとはいえない点も気になる。早川書房からの再刊では翻訳に手が入っているらしいので、印象も変わるのかもしれないが…。
一冊読むのであれば藤永茂『ロバート・オッペンハイマー――愚者としての科学者』のほうが理解に資すると感じる。原作本のほうはストイックな伝記なのだが、そのぶんテーマ性に欠けるきらいもあり、その点でも、ある種の科学者論たろうとして書かれた藤永著のほうが書籍としておもしろいというのはある。
藤永『愚者としての科学者』では、オッペンハイマーと対照をなす人物としてレオ・シラードが登場し(映画にもほんのちょい役で登場。むしろ同時に出てくるラミ・マレック演じるデヴィッド・L・ヒルのほうが重要な役割を与えられていて印象に残る)、シラードがオッペンハイマーと比して「科学者の良心」とみなす論調に対して、むしろ誠実にふるまったのはオッペンハイマーのほうなのだと擁護していたと記憶する。
一方で、映画で大きな存在感を放つルイス・ストローズとの確執はそんな書かれていなかったような気もして(手元にないので確認できず)、そうしたアメリカ政治におけるオッペンハイマーの布置という点では、この原作本を読むと理解が深まるのかも。
しかし映画のクライマックスであるアインシュタインとのやりとりは(そうだろうという気はしたが)おそらく映画独自の脚色なんですねえ。