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結希ちゃんの遺伝子、禁酒と沈黙――笹本祐一『妖精作戦』四部作感想

カーニバル・ナイト (妖精作戦PARTIII) (創元SF文庫) (創元SF文庫)

 このところ、『涼宮ハルヒの憂鬱』に始まる一連の作品が角川文庫で装いも新たに出版されているわけですが、せっかくの機会なので、ハルヒ再読前に、そのハルヒに大きな影響をあたえたとされる『妖精作戦』四部作を読みました。以下感想。

  新宿駅。オールナイト上映後の帰り道。ふしぎな少女。転校生。超能力。謎の組織。立ち向かう高校生たち。

 『妖精作戦』、『ハレーション・ゴースト』、『カーニバル・ナイト』、『ラスト・レター』。この四作品が世に出たのは、1980年代半ば。創元SF文庫版の各巻に解説を寄せる書き手たちは、一様に「ライトノベル」というジャンルがまだなかった時代として、当時を回顧する。この『妖精作戦』が、いまライトノベルと称される作品群の祖型なのだ、とも。

 たしかに、『涼宮ハルヒの憂鬱』をはじめ、著名な作品群のなかに、『妖精作戦』の影響を強く受けたのだろうな、と思わせるものを見つけるのは容易い。たとえば秋山瑞人イリヤの空、UFOの夏』のプロットは、まさに『妖精作戦』を換骨奪胎したもののように感ぜられる。しかし、『妖精作戦』四部作を一読した正直な感想を述べるならば、30年という月日は、さまざまなことどもが古びてしまうには十分な時間であるのだな、と思わずにはいられなかった。

 会話の調子なんかは、たぶん語彙の問題なのだろうけど、どうにも読んでいてこそばゆくなってしまう感じがし、ああ、2000年代に叢生したテキストサイトのあまりうまいとはいえない対話篇ってこの時代のジュブナイルの影響をガンガン受けていたのだな、と今さらながら思った。よって、会話の積み重ねによって生じるものの一つであろうキャラクターの魅力についても、それを創元SF文庫版の解説陣が絶賛するような意味では、どうもうまく感受できなかった気がする。

 お話についても、それは徹底して「状況」によって生じるものであり、そこには各個人のパーソナリティはあくまで付随的なものでしかない、という感じを受けて、それは涼宮ハルヒという強烈な個性なしでは成り立たないであろう『涼宮ハルヒの憂鬱』とは、小説の文法のようなものが異なっている、という感じを受けるのである。

 しかし、この『妖精作戦』四部作には、おそらく未だに古びていないキャラクターが一人だけいる、というような気がする。それはこの文章のタイトルから察してもらえると思うのだが、その一人とはすなわち、和紗結希である。彼女がなぜ古びていないかといえば、この小説のキャラクターたちを否応なしに古びさせてしまっている語彙の呪縛から、彼女は沈黙という仕方で逃れているからである。

 それと、このシリーズを読んでいて感じたのが、現代とこの時代とで、高校生が飲酒をする、という行為の意味合いがまったく異なるのだなあ、ということで、たとえば現代のアニメで高校生に飲酒をさせることは大いなる困難をともなうように思うし、それはしばしばアウトサイダーの記号として付与されるものだとも思うのだけど、『妖精作戦』においては、おそらく、イケてる連中の記号として飲酒が用いられていて、これみよがしな飲酒が主要人物たちによってなされることに、素朴な驚きを覚えたのである。

 個人的な印象なのだけど、飲酒っていうのはしばしばイージーな現実逃避の手段であって、それはうらわかき高校生たちのイケてる振る舞いとみることは難しい。これみよがしな飲酒なんていうのは、背伸びの仕方を勘違いしたあわれな愚か者の振る舞い以上ではないのだ。

 沈黙という手段で身を守った和紗結希は、ここでも酒を自らから遠ざけ、己を守っている。こうして結希ちゃんの遺伝子は、長門有希のほか、それぞれ沈黙と神秘をまとう無数の彼女たちに受け渡されたのであった。

 

 

涼宮ハルヒの消失 (角川文庫)

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