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悪夢を祓う英雄――『ハドソン川の奇跡』

ポスター/スチール 写真 アクリルフォトスタンド入り A4 ハドソン川の奇跡 光沢プリント

  『ハドソン川の奇跡』(原題:Sully)を字幕版でみました。以下感想。ネタバレが含まれますのでご留意ください。実話にネタバレも何もあるか!というのはごもっともですが、構成の妙はやはりネタバレ知らずにみたほうがより楽しめると思うので。

 

 エンジン停止。街に墜落する飛行機。たぶん、失われた無数の命。不吉な、それでいて生々しい結末を迎えた悪夢によって男は目覚める。夜明けの街を男は走る。そのさなかろくに確認もせず道路を横断しようとして危うく車と衝突しかけ、男はどこか心ここにあらずといった感じ。それもそのはず、男はまさにその直前に、死の危機をなんとか回避したばかりだったのだから。男の名はチェズレイ・サレンバーガー。不意の事故によって低空でエンジンが停止してしまった旅客機を、なんとかハドソン川に着水させ乗員乗客全員の命を救ったことで、一躍アメリカの英雄になった男。しかし英雄となった彼を待ち受けていたのは人々の称賛だけでなかった。お前の選択はほんとうにベストなものだったのか?いたずらに多くの人々の命を危険に晒しただけではなかったか?国家運輸安全委員会の追求に答えるため、男は再び戦わねばならなかった。

 『ハドソン川の奇跡』は、まさにその「奇跡」がおこった直後から物語を語り始める。自身の選択の正当性を証明する戦いのさなかに、なにがしかのきっかけによってフラッシュバックする事故当時の様子が挿入されつつ、物語は進行する。だから、過去の様子は断片的に提示され、最終的にクライマックスである公聴会の場で、まさにその時間を切り取った音声が再生されるまでは、その時間の操縦室の「ほんとうの」状況は宙づりにされている。それがひとつのフックになっていて、サレンバーガーの選択はほんとうに正しかったのか?という委員会側の疑問を共有できるような構成になっている、という印象。それによって、広く知られた実話をベースに一種のサスペンスを展開することに成功しているように思う。

 イーストウッドは『アメリカン・スナイパー』に引き続き、近過去の出来事を題材に、実在の人物、それも「英雄」とされる人物を取り上げていて、兵士と機長とまったく違った環境で全く違った業務に従事する人間を取り上げているにもかかわらず、取り上げるアプローチは案外似通っている、という気がする。『アメリカン・スナイパー』と同じく「英雄」に祭り上げられてしまった人間の苦悩なんかを描いている点、その仕事が幼少期(こちらの映画だと青年期ってほうが適切だけど)の経験の連続線上にあるのだ、ということをほのめかすカットが挿入されるあたりとか。

 しかし、人の死を積み上げることで「英雄」になったクリス・カイルの物語が死によって終わりを迎えたことと対照的に、人の命を救ったことで「英雄」になってしまったサレンバーガーの物語の結末は、人の生そのものに満ち満ちていて、これはなんというかはっきり残酷な対照をなしてしまっているという感じが。本物の「生存者」が次々

 登場する演出は『シンドラーのリスト』を想起したりするのだけど、『ハドソン川の軌跡』には『シンドラーのリスト』的な雰囲気、一種の執念みたいなものが焼き付けられた重々しさはなくて、どこかすがすがしく、サレンバーガーの正しさが証明される映画の結末を祝福するような色さえある。

 作中で言及されるように、ニューヨークと飛行機に関して、明るい話題はない。ニューヨークで飛行機事故といえば思い浮かぶ日付はひとつ。冒頭、唐突に示される悪夢は、まさにその飛行機のイメージに未だ悩まされ続けるニューヨークのみた夢でもあるのかもしれない。正しい選択によって飛行機によるカタストロフを回避した英雄の物語は、その悪夢を祓う物語でもあるのだろう。現実に命を救った男の物語を、飛行機をめぐる悪夢のイメージを打破する物語として語りなおしてみせたこの映画は、だからこそ「英雄」を生の明るい輝きに満ち満ちたものとして提示したのだと思う。

 

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機長、究極の決断 (静山社文庫)

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ハドソン川の奇跡

ハドソン川の奇跡

 

 

【作品情報】

‣2016年/アメリ

‣監督:クリント・イーストウッド

‣脚本: トッド・コマーニキ

‣出演