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それぞれの通史のために――エルンスト・H・ゴンブリッチ『若い読者のための世界史』

若い読者のための世界史(上) - 原始から現代まで (中公文庫)

 エルンスト・H・ゴンブリッチ、中山典夫訳『若い読者のための世界史』を読んでいました。文庫に入ったので読もう読もうと思っているうちにもう4年も経ってたんですね。いやーしかしこれはもっと早くに読むべきだった。以下適当に考えたことなど。

  著者のゴンブリッチは『美術の物語』などで知られる、美術史を専門とする歴史家。

美術の物語

美術の物語

 

  『若い読者のための世界史』は、その彼がまだ美術史の泰斗としての名声を得る以前、若干25歳の時に書かれたもの*1オーストリアで生まれウィーンで博士号を取得した彼は、悲しいかな職が無かった。そんな時期に偶然彼に舞い込んできた仕事の結果、この『若い読者のための世界史』は書かれることになったという。1935年、まだ二つ目の世界大戦を世界が経験していない時機に、この本は書かれた。

 先史時代にはじまり第一次世界大戦でもって閉じられる本書の叙述は、否応なく1935年という時代の徴が刻まれていて、それが一定の制約を与えているのは確かである。ほぼ同時代の出来事について著者の目は正確ではないし(それについては50年後に書かれた「あとがき」で補足されている)、僕は専門家じゃないので細かい事実関係はちょっとわからないのだが、その後研究が進んで本書の記述が時代遅れになっているところも間違いなくあるだろう。そして全体の構成からはヨーロッパ中心主義の印象が拭い難い。

 しかしそれでもなお、本書の価値は未だ色あせていないと感じられる。それは、「若い読者」、すなわち子供に語りかけるという形式をとっているがゆえに、歴史をひとつの「物語」として、筋道だって流れていくひとつの「おはなし」として語りきっているという点にある。歴史の大まかな流れをここでは「通史」と呼ぼうと思うのだけれど、そうした通史の理解という点で、本書ほど世界の通史を掴みやすい本はおおよそないのではないか。

 たとえば高校で必修になっている世界史の教科書は、あれはあれでまあよくできた本ではある、と思う。僕なんかよりはるかに優秀な人間が知恵を絞って作り上げた本がよくできてないわけない。しかし、たぶんおおよそほとんどの世界史の教科書は情報量があまりに多いのだ。たぶんそれは大学受験との避けがたい関わりによってもたらされたものだと思うのだけれど、その情報量の多さ、固有名詞の膨大さによって、歴史の流れを追うことは結構難儀になっているのではないかという気がする。

 歴史の流れという大河を辿っていく中で、我々はしばしば一匹一匹の魚、一つ一つの石の煌めきに目を奪われ、その結果としてより大きな流れはしばしば視野の外へと追いやられる。そして歴史の教師というやつはおおよそ、そうした一つ一つの石の煌めきに魅入られた人間だから、その語りを聞く生徒はより一層、大きな流れというものへの意識を失ってゆく。より大きな流れのなかでこそ一つ一つの小石は輝くと思うのだけれど、そんなことにかまっている余裕はない。なぜかというとそうした一つ一つの小石の名前をただ暗記することが、その都度その都度の試験で点を取るための近道になってしまうからで、だからそうした日々の積み重ねのなかで、歴史=暗記的な紋切り型が再生産されていく。

 膨大な情報を処理しなければならないという要請が、こうした不幸を招いているのだと思う。とはいえ、そもそも「世界史」を語ろうとする試みはそうした情報量の増大、それに伴って事実の迷宮の中で迷子になるという事態を招きやすいんじゃないかという気がして、東大でめっちゃ売れていると帯で謳って大変売れているっぽいマクニール『世界史』も、(高校世界史のように分担執筆ではなく)一人の著者によって書かれているというアドバンテージにも関わらず、歴史の流れを、特に前近代の叙述では、追いにくかったような気がする。大航海時代以降、ヨーロッパ文明による世界支配が開始されると筆がのってきて(あるいは読んでるこっちがマクニールの語りに慣れてきて)かなり流れがつかみやすいとは思うのだけれど。

世界史 上 (中公文庫 マ 10-3)

世界史 上 (中公文庫 マ 10-3)

 

 

 世界史教科書やマクニール『世界史』と比べたとき、『若い読者のための世界史』の何よりの美点はその情報量の少なさにある。出てくる固有名詞の数はたぶん圧倒的に少ないし、ヨーロッパ以外の地域についてはたぶんあえて語り落し、あるいは大胆に省略する。それがヨーロッパ中心主義的な印象を強くしているが、ヨーロッパに生まれた著者が、ヨーロッパに生きる子供たちに語っているのだから、それを本書の欠点とあげつらうのはちょっと意地が悪いだろう。それよりも、1935年の段階で、もはやナショナルな枠組みを超え出でて、より広い視点にたって半世紀後にも読むに堪える通史を提出したということの意義をこそ強調すべきだと思う。

 それよりも僕が問題だと思ったのは、このヨーロッパ中心主義的な「世界史」があまりに「しっくりきてしまう」ことだ。これは徹頭徹尾僕の問題だけど、ヨーロッパ中心主義的でない「通史」を、僕は想像できるのだろうかと問われているという気がする。現行の世界史の教科書は、アジアをはじめ非ヨーロッパ地域の叙述がひと昔まえと比べたら格段に増えているという話は耳にする。しかし非ヨーロッパ地域の叙述が厚いことが、すなわちヨーロッパ中心主義的でないことには直接的にはつながらない、とも思う。その意味で、現行の世界史の教科書はゴンブリッチの世界史がそうであるのと同じくらいにはヨーロッパ中心主義的である、と思う。

  誰か偉い歴史の先生が、たしか樺山紘一だと記憶しているのだが、どこかで「歴史を論じるには通史が必要だ」というようなニュアンスのことを書いていた。そこでどういうものを「通史」と想定していたのか、その文脈ははっきり覚えていないのだけど、「通史」が必要、というのは実感として理解できて、だからそのことは僕の心に残っている。何を、どのように論じるのかによって、前提となる通史は様々な広さ、深さのものがありうると思う。私たちがそれぞれの通史を鍛えていくために、この若きゴンブリッチの残した通史は一つの試金石になりうると思う。そんなことを考えました。はい。

 

 たしか学部1年か2年のころ、読書会で読もうか、と先輩が提案した一冊だったのだけど、お値段がネックで結局取り上げなかった。なんせ4000円もするものだから。それが思い出に残っていて、今回は5年越しのリベンジって感じでした。いやしかしこの本が文庫に入ったことは滅茶苦茶ありがたいことだと思うので皆さん読んで。

 

若い読者のための世界史(上) - 原始から現代まで (中公文庫)

若い読者のための世界史(上) - 原始から現代まで (中公文庫)

 
若い読者のための世界史(下) - 原始から現代まで (中公文庫)

若い読者のための世界史(下) - 原始から現代まで (中公文庫)

 

 

若い読者のための世界史

若い読者のための世界史

 

 

*1:下巻「2005年版への序言」による