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アニメの外へ――辻村深月『ハケンアニメ!』感想

ハケンアニメ!

 辻村深月『ハケンアニメ!』を読んだので、感想を書き留めておこうと思います。

  『ハケンアニメ!』はアニメーション業界で働く女性を主人公にした連作短編。プロデューサー、監督、アニメーターと、立場の違う三人を主人公に据え、同じ時期に「覇権」を争ったアニメをめぐる物語が語られる。本書が刊行されたのは2014年8月。同じくアニメ業界を舞台にした傑作『SHIROBAKO』放映開始が同年9月末だから、奇妙な共時性を感じもする。とはいえ、当たり前のことだが両者のテイストは異なり、もともと女性誌『アンアン』に2012年から連載された『ハケンアニメ!』の女性像なんかにそのテイストの差異が端的にあらわれている、という気がする。

 それ以外にも、アニメーションを作るという営為の描き方をとっても、制作に関わる人間を、固有名こみでなるたけ多く画面にとらえようとしていたように感じる『SHIROBAKO』に対して、『ハケンアニメ!』は語り手を務める人物とそのパートナーに強力な引力を働かせているように感じられるし、たとえば画を描くことのディテールなんかは圧倒的に『SHIROBAKO』のほうに理がある。それはどちらが優れているという話ではなく、単に作風のうえでの、あるいはメディアが違うが故の違いではないかと思う。とはいえ、『SHIROBAKO』のあとにアニメーション業界を舞台にした作品を眺めるならば、どうしても比較対象にせざるをえず、そうなると後続の作品は大変分の悪い勝負を強いられることにもなると思うのだけれど。

 そんなことはどうでもいいとして、『SHIROBAKO』と引き比べてみたときの『ハケンアニメ!』の魅力の一つは、おそらく『SHIROBAKO』はあえて描かなかったであろう、「アニメ業界の外部」とアニメ業界との接点を、ドラマの軸としている点だろう。『SHIROBAKO』に登場する固有名をもつ登場人物のほとんどは、なんらかの形でアニメーションと関わる人物であるか、あるいは宮森あおいの家族であるかどちらかだと思うのだが、『ハケンアニメ!』はアニメーション業界とまったく異なる世界に生きていた人間、具体的には地方の市役所の観光課の人間と、アニメーターとを接触させることで、「アニメーション業界の外部」が物語内に侵入してくる。

 本作で繰り返し語られるのは、アニメを見る/作るというのがある種きわめて個人的な経験であること。この個人的な経験を肯定すること、これがアニメーションの作り手にとっての矜持として、この物語全体を貫く。一方で、その個人的な経験が共有されうる可能性もまた作品のなかに満ちていて、それがアニメーションをつくる/見るという経験に参与していなかった、アニメーションの外側の人間すら巻き込んでいく。『SHIROBAKO』が徹頭徹尾「アニメーションに関わること」を追求しその可能性を深化させた物語だったとするなら、『ハケンアニメ!』はアニメの外の世界とも、アニメを通して関わりなうことができる、そうした希望を語る物語だったんじゃなかろうか、と感じました。

 

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  ぼくが『SHIROBAKO』を傑作だと疑わないのは、アニメ業界のお話である以上に、現代日本の社会の地形を写し取っているからなんですね。その点『ハケンアニメ!』は東京―地方の関係に陰影を感じられないというか、東京→地方の移動の持つ意味についてはちょっと雑な感じを受けたというか、もっとやれたのではとか勝手に思っちゃうのですが、まあないものねだりだしくそみたいな規範批評はやめときます。


 

 

 作中のアニメ環境って、なんとなく2011年ごろを勝手に想像して元ネタを妄想したりしたのだけれど、どうなんだろう。監督のモデルはあとがきに書かれてた幾原邦彦松本理恵両監督だろうし、というか松本さんが細田守デジモンをみて(これ作中の架空のアニメも「団地」の映画だと言及されてておお!となりました)アニメ監督を志したみたいな話とか、元ネタ探し的な楽しさにも溢れていてよかったのではないかと思いました。

 

 

 

ハケンアニメ!

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