劇場版『SHIROBAKO』をみました。テレビシリーズののち、短くも長いこの時間のあいだに少し変わって、でもひたむきにぞれぞれにアニメをつくる宮森たちの姿に、素朴に励まされました。ほんとうに、素晴らしい作品だったと思います。以下、感想。
2019年、冬。西東京。くたびれた社用車。止まるエンジン。アニメ業界の明るくない雰囲気を伝えるラジオの声。西東京を走り、車は武蔵野アニメーションへ。かつて我々が見知った社屋は蔦が繁茂し、なにやら怪しげな雰囲気。社用車を降りた彼女は、社内で一人、椅子にねそべり仮眠をとる女性に声をかける。眠りから覚めた女性の名は、宮森あおい。そうしてふたたび、彼女と彼女をとりまく人々との、アニメをつくるという仕事が始まる。
2014年に放映され好評を博したテレビアニメ『SHIROBAKO』の劇場版。テレビ版ではテレビアニメをてがけた武蔵野アニメーションは、その後、大きなトラブルによって人員が大きく減り、かつての賑わいは失われていた。そこで再起をかけ、劇場用アニメの制作に取り組むことになる、というのが劇場版の大筋。アニメ制作のため、かつて共に仕事をした仲間たちを集める様子が楽しく描かれ、そして武蔵野アニメーションを襲った事件の輪郭も次第に明らかになっていく。
テレビシリーズの続編だけあって、いわゆる同窓会的な楽しさに溢れている。テレビシリーズで演じられたコメディがスクリーンでもやや装いを変えつつも反復される様に我々はちょっとうれしくなる。しかし、そうしたある種のファンムービーを超え、この劇場版『SHIROBAKO』がユニークな作品足りえているのは、そうしたテレビシリーズの反復を極めて意識的に作品に取り込み、そのように再びつくることが主題化されているからに他ならない。
アニメーション制作というモチーフはテレビシリーズと共通なのだから、映画といえどもその手順は大きくは(おそらく)変わらない。だからこの劇場版におけるキャラクターの悩みや、彼女・彼らを見舞うトラブルは、テレビシリーズとよく似たものになることはおおよそ必然である。そこでテレビシリーズのリアリティと大きくかけ離れた物事を持ち込むことでテレビシリーズとの差異化を図ろったならば、この作品世界に対する我々の信頼は否応なしに毀損されるだろう。
故に、この劇場版はテレビシリーズの反復たることを正面から受けとめ、極めて自覚的に物語上のモチーフに取り込んだのだろう。再び、起つ。再び、利用する。武蔵野アニメーションがてがける劇場用アニメ『空中強襲揚陸艦SIVA』は、そもそもが他社によって半ば打ち捨てられた企画ではあるのだが、それを短期間でかたちにするために、宮森はある提案を行う。それは、かつて多くの作り手が情熱を傾けたにもかかわらず、ついに放映されることはなかったアニメを――つまりアニメたりえなかったアニメを――再利用する、そのような提案だったのであり、それがまさに、武蔵野アニメーションという会社が、あるいは仕事に微かに倦みつつあった宮森あおいが、再び立ち上がるためにたった一つのさえたやり方に他ならなかったのだ。そうして過去を再利用すること、そのことで彼女たちは再び、アニメをつくるのである。
さて、ここでテレビシリーズにおいて、アニメをつくるという営みが、いかなるものとして立ち現れていたかを確認してもよいだろう。アニメというものを形作るもろもろの手順。原画、動画、撮影、その他もろもろの担当者の作業。無論そうしたものによってアニメはつくられる。そのディテールの積み重ねが、『SHIROBAKO』の作品世界におけるアニメを形作っていることを認めよう。
しかし、そうした個別の作業全体の基盤となり、あるいはそれなしではアニメがつくりえない、そうしたものとして、個別のディテール以上に作品世界におけるアニメ制作を規定しているもの、それは「空間的な移動」のモーメントである。1話冒頭、車で西東京を移動している最中を映すところから、アニメ制作に携わる人間としての宮森あおいが立ち現れたことを想起してもよい。あるいは、最終話、「遠すぎた納品」のために列島各地を奔走する武蔵野アニメーションの面々を想起してもよい。あるいは、宮森あおいたちが東京でない「何処か」から、この東京へと上京してきたことから物語が始まったことを想起してもよい。制作進行としてキャリアをスタートさせた宮森あおいを主役に据えたことで、この移動のモーメントは画面のなかで大きな重力をもち、その空間的な移動の線の集積こそが、無数の線の集積たるアニメーションをかたちづくるのだ、と語った点に、『SHIROBAKO』のユニークさはあった。
劇場版ではプロデューサーとなった宮森あおいは、もはや制作進行だったころほどは、車で都内を移動したりはしない。記憶の限りでは、彼女が車を運転するのは、太郎と平岡のコンビを(いきがけに)送ったシーンだけで、また自転車通勤のシーンもほとんど画面には現れなかった。
しかし彼女が移動をやめたかといえば、そんなことはまったくなく、この劇場版において、彼女はただひたむきに歩くのである。この劇場版『SHIROBAKO』を要約するならば、文字通りの意味で眠っていた彼女が、起き上がり、そしてあのラストカットが切り取っているように、歩き出す物語に他ならないのだ。歩みの生み出す線は、上京というドラマティックでダイナミックな線や、あるいは高速で走る自動車の描く線より、はるかにささやかであり、遅々としているかもしれない。しかしその歩みもまた、アニメーションを、あるいは我々の現実を駆動させ、前進させるものに他ならないのだ。我々の仕事とは往々にしてそのようなものだと教えるこの映画は、その真摯さとひたむきさによってこそ、我々を勇気づけるのである。
関連
『SHIROBAKO』における地理感覚みたいなものは、ぼくはちょー重要だと思っているのですが、重要であることがあまりに自明なのであんまり言及されないっぽいような気がしています。
上記の記事をブラッシュアップしたものが、以下の個人誌に載っていますので、よろしくです。
劇場版『SHIROBAKO』の「再利用」というモチーフは、たとえば『最後のジェダイ』や『ブレードランナー2049』、『パシフィック・リム アップライジング』その他もろもろの作品にみられる時代の精神(といったらあまりに大仰すぎる)というか、重要なモチーフだと思っていて、ほんとはそれについての記事をすでに書き上げてアップロードしてあれば良かったんだけど、今後書きます。
【作品情報】
‣2020年
‣監督:水島努
‣脚本:横手美智子
‣キャラクター原案:ぽんかん⑧
‣音楽:浜口史郎
‣アニメーション制作:P.A.WORKS
‣出演
・宮森あおい :木村珠莉
・安原絵麻 :佳村はるか
・坂木しずか :千菅春香
・藤堂美沙 :高野麻美
・今井みどり :大和田仁美
・宮井楓 :佐倉綾音
・矢野エリカ :山岡ゆり
・安藤つばき :葉山いくみ
・佐藤沙羅 :米澤円
・久乃木愛 :井澤詩織
・高橋球児 :田丸篤志
・渡辺隼 :松風雅也
・興津由佳 :中原麻衣
・高梨太郎 :吉野裕行
・平岡大輔 :小林裕介
・木下誠一 :檜山修之
・葛城剛太郎 :こぶしのぶゆき