『青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない』をみました。新作映画にあわせてサブスクで視聴できるようになって、ありがたい限り。以下、感想。
恋人と妹と自宅で鍋を囲もうとしていた梓川咲太のもとに、初恋の人、牧之原翔子があらわれる。いきなり「泊めてほしい」と懇願する翔子に戸惑う梓川だったが、彼女は「思春期症候群」にかかわるある秘密を抱えていた。
2018年にテレビ放映された『青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない』の続編の映画化。メインスタッフや制作会社はTV版と共通で、ルックもTV版の延長上にある。TV版がさほどリッチな画面作りをしていたわけではないので、映画的なリッチさに欠けるきらいはあるが、今回は自宅のテレビで視聴したので、まあいいんじゃないかしらという気持ちに。
この作品世界では、思春期の心の悩みが超現実的な出来事をひきおこす「思春期症候群」によってドラマが駆動していくが、それはこの劇場版も共通。劇場版は主人公の初恋の人をめぐる挿話になっていて、SF的なガジェットとしてはタイムトラベルがもちいられる。タイムトラベルをもちいてなすべきことといえばもちろん、破局的な運命の回避——ここでは死の回避になる。ともすれば陳腐になりがちな、難病を抱える少女というモチーフが、そのタイムトラベルの賭け金となることで過度のセンチメンタリズムから逃れている。
さて、溝口ケージの原案によるキャラクターたちは儚げな雰囲気をたたえていて魅力的だが、一方でそれをアニメーションのキャラクターに翻案したとき、必ずしもその魅力が十全にあらわれていない気がして、それはやや残念であった。それはアニメの作り手側の瑕疵というよりも、この絵柄の「アニメにし難さ」の産物とも思うのだけれど…。特に決定的な瞬間の泣き顔など、状況の切実さを必ずしも伝えきれていないと感じられて、そこに象徴されるキャラクターの作画の平板さはTVシリーズから続くこの作品のウィークポイントだと思う。
とはいえ「大切な人の死」をめぐり二転三転するプロットはよく練られていて素朴に楽しみました。タイムトラベルの果てに歴史が改変され、「初恋の人」は歴史からいなくなってしまうが、しかし奇妙な偶然から別の仕方で出会う——というのは『シュタインズ・ゲート』、もしくはそのネタ元の一つであろう『バタフライ・エフェクト』っぽくてよかったですね。べたな青春は死に彩られなくても十全に充足しているのだから。
しかし、梓川くんはもう学園ラブコメの「あがり」を迎えているがゆえに、ドラマを終わらせるのが難しそうで難儀よねえ。
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