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シシ神の遠い嘶き——『鹿の王 ユナと約束の旅』感想

映画チラシ『鹿の王 ユナと約束の旅』5枚セット+おまけ最新映画チラシ3枚

 『鹿の王 ユナと約束の旅』をみました。以下、感想。

 まだ世界が近代的なるもののとどろきが聞こえていないころ。我々の住む世界から遠く離れた場所。強大な軍事力を誇るツオル帝国は、アカファ王国をゆるやかに併合しつつあった。かつてアカファ王国防衛のため戦った男、ヴァンは、いまは岩塩鉱で帝国のために労働させられる奴隷として日々を過ごしていた。そこに現れた山犬が帝国軍人やほかの奴隷たちを皆殺しにしたことで、ヴァンは偶然出会った少女とともに鉱山を抜け出す。そのころ、山犬由来の疫病、黒狼熱(ミッツァル)の恐怖が帝国に忍び寄り、また王国の復権を狙うものたちが陰謀をめぐらしていた。

 『精霊の守り人』、『獣の奏者』で知られる上橋菜穂子による原作を、『もののけ姫』、『千と千尋の神隠し』の作画監督としてその名を知らしめたアニメーター、安藤雅司と、『亡年のザムド』、『伏 鉄砲娘の捕物帳』の監督を務めた宮地昌幸の二人が監督をつとめ、アニメ化。アニメーション制作はProduction I.Gで、予告編などみると人物の造形にスタジオ・ジブリ的な雰囲気を感じるが、映画を通してみると、硬質な手触りのProduction I.G的な作画の印象が強い。同スタジオのスターアニメーターたる西尾鉄也黄瀬和哉など、錚々たる面々が原画にクレジットされており、全体の作画の水準は極めて高い。鹿(ピュイカ)や山犬などが躍動するさまは、安藤の出世作である『もののけ姫』の記憶を否応なしに喚起する。

 文庫本で4巻にもわたる長大な原作を2時間にまとめたことによるだろうが、国名や「独角」、「玉眼来訪」など聞きなれない響きの固有名詞が唐突に出てくるのでやや面食らう。「独角」はある種の特殊部隊、「玉眼来訪」は皇帝の行幸のことだとおぼろげながら理解できるので、物語の筋を追うことに大きな困難はないが、それでも響きだけでは脳内で漢字変換ができないので不親切な感じはする。また、心情をかなり直截に言葉にしている場面もあり、この水準の作画で芝居がつけられるのであれば、言葉にせずとも我々に十全にその心中は察せられるわけで、やや野暮ったさを感じたのも事実。

 とはいえそんなことは些末な問題でしかなく、とにかくリッチに動くのでみている時間は極めて幸福でした。『となりのトトロ』がそうであったように、決して「かわいい」記号ではない幼児を、いとおしい存在として見事に描き切っており、それは宮崎駿の仕事の一つを見事に継承しているのではなかろうか。また、ドラマを進行させるのに必ずしも資するわけではない、キャラクターの動作の「もたつき」のようなもののリアリティは白眉で、この積み重ねで作品世界が見事に生き生きとした呼吸を獲得しえていた、という気がする。

 一方で、これはあまりに高いハードルだとも思うのだけど、たとえばある一瞬でこの映画の記憶を脳内に刻んでしまうようなセンス・オブ・ワンダーに満ちた時間や、またこちらを混沌のただなかに叩きこむような迫力をドラマがまとうこともない。恐るべきことだが、『もののけ姫』はそのどちらも備えていて、だからわたくしのなかでオールタイムベストに疑いなく入るんだが、一方でそういうオールタイムベストと比較するのは不毛なことも重々承知はしているんです。しているんですが、それでも安藤雅司という極めて優れたアニメーターの仕事に、そうした期待をしないわけにはいかないわけですよ。

 高い評価を得ている原作があるがゆえに、物語には破綻はなく、男の魂の救済を主題とするロードムービーとして手堅くまとまっているとは思う。しかしやっぱり、ほとんど破綻をいとわぬ無法な迫力をまとった『もののけ姫』の記憶が、20年以上経ってもなおわたくしの脳裏にはっきり刻まれているのですね。一昨年のリバイバル上映でみたからってのもあるかもですが...。シシ神の遠い嘶きは、やっぱりこの映画にこだましていて、でもそれはやっぱりどうしようもなく遠いのだ。わけもわからぬ何かが我々の存在を脅かすような、「もっとすごい映画」であってほしかった。なんて不毛な感想!