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ある思春期の特権——アニメ『青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない』感想

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 このところ、アニメ『青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない』をみていました。以下感想。

 現代、日本、神奈川県藤沢市。なにやら訳ありげで友人の少なそうな高校生、梓川咲太は、同じ高校に通う先輩で、女優としても活動していた美少女、桜島麻衣を図書館でみかける。何故か彼女はバニーガール姿で、自分以外はこの奇妙な状況を認識できていない——桜島先輩そのものを認識していないようだった。「思春期症候群」ともよばれる現象に巻き込まれた少女たちと、それを助けようと奮闘する少年の物語はこうして始まる。

 鴨志田一によるライトノベルを、『サクラクエスト』の増井壮一を監督に迎え、A-1 Pictures系列のCloverWorksがアニメ化。田村里美によるキャラクターデザインは、溝口ケージによる儚げな色合いのデザインをよくアニメに落とし込んでいるが、やや平板な印象。女性キャラクターは一様に魅力的だが、それはむしろ芸能人である桜島麻衣がとびぬけて魅力的なデザインになっていないということでもあり、それが平板な印象を強める結果になっていると感じる。

 お話は谷川流涼宮ハルヒの憂鬱』的にSF的なガジェットを梃子に進んでいくが、その根底に思春期的な悩みがおかれていて、そういう意味では渡航やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』などを想起させる。ハメット『血の収穫』やチャンドラー『大いなる眠り』に代表されるハードボイルド探偵小説が、トリックの代替として複雑怪奇な組織関係・人間関係をはめ込んだミステリの一形態だとすれば(こんなハードボイルドの定義はありなのか?)、『俺ガイル』もまた解くべき謎を徹頭徹尾人間の心中に隠すことでトリックの必要性を排除した、トリックなきミステリのナラティブによって物語を駆動しているわけだが、『青ブタ』はそこにSF的なガジェットを組み込むことで、明白に奇妙な状況を生み出すロジックを準備した点でおもしろみがあるのではなかろうか。

 谷川は、SFやミステリといったジャンル小説への愛着をしばしばそのテクストにまとわせるが(例えば最新刊である『涼宮ハルヒの直観』所収の「鶴屋さんの挑戦」を想起すれば)、鴨志田の作家としての興味は、『さくら荘のペットな彼女』がそうであったように、キャラクターの魅力を彫琢することにあるような気がしてならない。

 そこでこのアニメのおもしろさは、キャラクターが交錯する場としての学校をさほど重要視していないように思えることで、こうしたライトノベルにおいてしばしば主人公の行動を規定するガジェットとなる「奇妙な部活」が存在しない。SOS団でも奉仕部でも隣人部でもいいんだが、それらはキャラクターが同じ空間にいることの必然性を担保するための場所だった。

 それではこの作品では、様々なキャラクターの接点となる場所はどこになるかといえば、あえていえば梓川が妹と二人で暮らすアパートなのだが、しかしそれも学校の部室ほどに融通無碍な使いかたはできないので、梓川と個別のキャラクター同士はドラマのなかで交流するのだが、それ以外のキャラクター同士のあいだでの接点がさほど生じていないように感じられる。そしてそれは、この作品を決定的に制約しているようにも思える。

 たとえば竹宮ゆゆことらドラ!』の終盤が奇妙な熱量を帯びているのは、クラスという一つの箱に入れられたことで接点をもったキャラクターたちが、あたかも作家の手を離れたかのごとくドミノ倒し的に動き始める、そのコントロールされきらない感覚ではなかったか。そのドミノの運動は、テクストのなかで不随意に共通の空間に居合わせたことで準備されたのだし、そのことでしかたぶん始まらないのだ。

 『さくら荘のペットな彼女』における学生寮のような空間の不在は、作家がキャラクターの運動をコントロールすることを容易にし、しかし不随意の運動を強く抑制している。予定調和の青春ドラマを退屈だとくさすつもりはないが、その予定調和が破れるときの不安と恍惚こそが、思春期という時間に許された特権ではないかとも思うのです。

 

 

 

 

 映画もdアニメストアで配信してくれたらみたいんですが...。