『劇場版 呪術廻戦 0』をみました。以下、感想。原作の展開に触れています。
幼なじみの少女の死をきっかけに呪われてしまい、自身を害そうとするものが凄惨な罰を受けるようになってしまった少年、乙骨憂太。危険視され死刑に処されようとするところを、謎めいた男に救われ、その導きで呪術師の集う呪術高専に入学した少年は、自身の呪いを解くために研鑽を積む。しかしその強力な呪いの力は、人間世界を転覆させようと目論む男を招き寄せつつあった...。
芥見下々による『週刊少年ジャンプ』連載の漫画、その前日譚のアニメ映画化。メインスタッフはTVシリーズと共通で、アニメーション制作はMAPPA、監督は朴性厚、キャラクターデザインは平松禎史。シネマスコープサイズの画面で、TVシリーズでも見事な冴えをみせたアクションが大画面で展開する、そのことが単純にうれしい。
TVシリーズ同様、原作の筋はおおむね墨守されさほど大胆な脚色はなされていない(『鬼滅の刃』の法外な興行的成功がそうした方向性に誘導したとしたら、それはちょっと勿体ないなあとも思う)。とはいえ、クリスマスの百鬼夜行の戦闘で、TVシリーズで見知ったキャラクターたちが躍動するさまは、原作で描かれなかった点を補完するサービスとして単純にうれしい。一方で、それがクライマックスの乙骨vs夏油の決戦のテンポをやや削いでしまっているきらいはあるが、クリスマスに公開されるある種のお祭り映画としてその使命を全うしようとすることは十分に理解できる。たとえわたくしがほんとうにみたかったのは強烈に脚色されたソリッドな映画だったとしても、それが不毛なないものねだりにすぎないわけです。
さて、そのように原作のもつ調子を誠実にアニメというメディアに落とし込んだこの『劇場版 呪術廻戦 0』が、しかしそれでも強烈なオリジナリティを得ているとするなら、それは声をめぐる文脈によってかもしれない。乙骨憂太には緒方恵美が配され、そしてその演技が否応なしに『新世紀エヴァンゲリオン』の碇シンジを想起させる調子をまとっている。緒方氏の仕事はかならずしも碇シンジ的なものだけではないのは承知しているけれど、自身ではどうしようもない運命に苦しめられている少年の苦悶の声は、明らかに碇シンジの記憶が挟み込まれていると感じる。2021年のアニメ映画は『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』の緒方恵美に始まり、『劇場版 呪術廻戦 0』の緒方恵美で終わるという見事な円環を描いているわけです。そしてどちらも「呪いを解く」ことでエンディングを迎えるという奇妙な一致!
個人的な感触としては、原作を読んでいて想像する乙骨の声のトーンってもう少し低くて暗いものだったのだけど、こうして碇シンジ的な乙骨が出てくると、もはやそのようなキャラクターとして上書きされてしまう(たとえば〈古典部〉シリーズの千反田えるさんの声がもはや佐藤聡美でオートマティックに再生されてしまうように!)ような気がするので、こうした文脈の付与がどういう力関係のなかでなされたものなのか知りようもないが、しかしまた大胆な配役だよなと思う。呪いの腹を食い破って出てくる「里香ちゃん」はどことなく『進撃の巨人』的なイメージであったが、それもイメージの先祖をさかのぼる過程で否応なしに『新世紀エヴァンゲリオン』にぶちあたるだろうし、そういう意味でも運命的な配役だったのかもしれません。原作において最強の男、五条がいったん退場させられてしまったいま、作中でもっとも頼りになるのは乙骨憂太だろうと思うのだけど、「最強の碇シンジ」として彼が今後どう立ち回るか、芥見先生の筆に託されましたね。
『鬼滅の刃』の映画化が「原作の一部を取り出して映画化する」という手法で法外な興行的成功を得てしまったいま、『週刊少年ジャンプ』連載作品のアニメ映画化のモードはそちらが主流になるのかもしれないな、といま思う。この『劇場版 呪術廻戦 0』もある意味でそういう形式だから。『ONE PIECE』や『僕のヒーローアカデミア』の映画のように、オリジナルのそれ自体で完結する企画が難しくなっていくとすれば、それはちょっともったいないにゃんね、という気もする。
この『呪術廻戦』も原作のタイムラインがきちきちっとなっているから、矛盾なくオリジナルの挿話を入れ込むのが難しいのかもですけど、原作のしんどい展開を想起するならば、魅力的なキャラクターがただ躍動するオリジナルのお祭り映画がみたいわね。そこから『オマツリ男爵』みたいな原作に対してめちゃくちゃ批評性のあるお話が語られる余地も出てくるだろうしね。わたくしはそういうもう一つのお祭りの夢を、アニメ映画のなかにみたいのです。
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【作品情報】
‣2021年
‣監督:朴性厚
‣原作:芥見下々
‣脚本:瀬古浩司
‣アニメーション制作:MAPPA