『前橋ウィッチーズ』をみたので感想。
群馬県前橋市。女子高生、赤城ユイナは、突然現れた謎の生物ケロッペから魔女見習いにスカウトされる。魔女になればどんな願いも叶うという誘い文句に導かれ、先にスカウトされていた4人の少女たちとともに、表向きは花屋にみえる魔女見習いの店を訪れた客の願いを叶える修業に取り組んでゆくのだが…。
サンライズ制作のオリジナルアニメ。監督は『ハイガクラ』の山元隼一、シリーズ構成・脚本は『ぼっち・ざ・ろっく』、そして評判を呼んだ朝の連続テレビ小説『虎に翼』の吉田恵里香。立花希望によるキャラクターデザインは記号的だが、主役5人の個性がしっかり刻印されていて親切。
魔女の修行をする少女たちを主役に据えた設定は『おジャ魔女どれみ』を彷彿とさせ、願いを叶えるために主役の5人が歌って踊るシーンは3DCGで描画され、その演出はなんとなく『アイカツ!』や『プリパラ』などの女児向けアニメを想起させる。杉田智和の声でしゃべるカエルのどことなく無邪気で腹に一物ありそうな雰囲気は『魔法少女まどかマギカ』のキュゥべえのような存在かと疑いたくなるし、全体的なモチーフは先行する作品のブリコラージュ感がある。
一方で、自身の体形や人間関係、進路に悩む主人公たちの造形は現代的かつそれがわざとらしくならない絶妙なバランス感覚で、「魔法少女もの」というフォーマットはそうした現代的な生きづらさを主題化するための梃なのだと感じさせる。
とりわけ印象に残ったのは、それまで明るく能天気な雰囲気を振りまいてきた三俣チョコの家庭環境が明かされる第6話・第7話の挿話。ヤングケアラーとして祖母や弟・妹の世話で疲弊するチョコに、直接それを解決できないながらも寄り添うユイナの姿は、この作品が描く人間関係の距離感の綾をよく表していると感じた。そしてそれが最終的には(少女たちではなく)行政や家族など「大人たち」の助けでよい方向に向かう、という落としどころもスマート。
こうした挿話がわざとらしくなく、心動かされるものになっているのは、魔女見習いの少女たちがキュートに描かれながらも、どこか視聴者に媚びきらないところがあるからではないかという気がして、その決定的なポイントでの媚びなさみたいなものが、少女たちを、ひいてはこの作品自体を自立させているという気がした。
「魔女見習い」をめぐるエコノミーはどこか『魔法少女まどかマギカ』のようなグロテスクさをにじませもするが、そのシステムをひっくり返して革命を起こすのではなく、適度な距離感で付き合っていくものとして描かれるのは、ある種の成熟を感じさせもする。作り手の倫理と、そしてそれを空疎なものにしない力量とを感じさせる、優れたテレビアニメだったと思います。