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みなしごたちの居場所、あるいはまた会う日まで——『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』感想

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 『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』( EVANGELION:3.0+1.0 THRICE UPON A TIME)をみました。エヴァンゲリオンという作品の歴史をすべて背負い、そして予告した通り、すべてに決着をつけてみせた、歴史的傑作です。同時代に生きる人間として、その公開の瞬間に立ち会えたことをとてつもなくうれしく思います。以下、感想。無論、ネタバレが含まれます。まだご覧になっていない方は、すぐ劇場に足を運ぶことを強く薦めます。

  エヴァの修理パーツを回収するため、パリ解放に挑むヴンダー。一方、再び災厄のトリガーとなり、友人を目の前で失い茫然自失の碇シンジは、式波・アスカ・ラングレーに連れられ、綾波レイによく似た少女とともに赤い大地をさすらっていた。疲れ果てたのか、何処かで座り込む彼の前に、突如車両が現れる。よく見知った声の男に誘われて彼が辿り着いたのは、世界の破局のただなかにあってそれでも懸命に生きようとする人々が、ささやかに集う場所だった。

 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』公開から9年、満を持して送り出された新たなる劇場版にして、『新世紀エヴァンゲリオン』以来27年の歴史をすべて総括する異形の映画。「ネブカドネザルの鍵」に代表される、新劇場版において新たに登場したガジェットはおおよそすべてに意味が与えられ、そして『破』から『Q』までの空白の14年間のディテールもおおまかに語られる。『序』に始まる『新劇場版』の完結編としての責務も誠実はここに誠実に果たされている。

 一方で、「人類補完計画」の発動という、所謂旧劇場版、『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』の変奏・反復ともいえる仕掛けを梃子に、『新劇場版』という形式をはるかにこえ、すべての『エヴァンゲリオン』を救済しようと試みる。この映画が2時間半を超える長尺になったのは疑いなくその試みの結果だろう。庵野秀明という作り手が、自身の生み出したフィクションに誠実に向き合い、そして総括するための試み。

 おおよそ、尋常の映画であれば破綻のそしりは免れまい。碇シンジの父にして碇ゲンドウの目的はいたってシンプルで、最愛の人との再会にあるのだが、その再会のために尽くされるSF的なガジェットにかかわる説明は、退屈ではないにせよ流石に冗長だろう。空中戦艦ヴンダーは空を裂いて見事に飛翔し、アスカ、マリの駆るエヴァンゲリオンは、無数のエヴァンゲリオン相手に大立ち回りを演じてみせる。このシークエンスは圧倒的に楽しいが、やはり全体としてこの映画を冗長にはしている。

 それを破綻と切り捨ててもいいだろう。しかしそうした破綻することに対する躊躇、迷いのようなものはこの『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』には一切ない。破綻しようがかまうものか、という確信に裏打ちされた異様な自在感で、SF的なロジックはよどみなく展開されて世界は破局へと加速してゆき、そしてエヴァンゲリオンは躍動する。これこそが『エヴァンゲリオン』なのだといわんばかりの、サービスにサービスを重ねる過剰さ。

 そしてまた『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』において我々が改めて目撃するのは、日常のよしなしごともまた『エヴァンゲリオン』という作品を形づくる不可欠な構成要素なのだ、ということ。テレビ版『新世紀エヴァンゲリオン』の前半部を想起してもよいし、また『日本アニメ(-ター)見本市』中の「新世紀いんぱくつ」を想起してもよい。『エヴァンゲリオン』とは、世界の破局の予感のなかで、それでも時折幸福と戯れながら営まれる日常の物語でもあった。

 碇シンジが「希望をみつける」場所、「第三村」は、そうした世界の破局がまさに現実のものとして立ち現れてなお、彼女ら・彼らの日常は(そこに無数の犠牲が積み上げられようが)継続するのだ、という宣言として、まさに『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』のあとに語られねばならなかった場所だろうと思う。そこで過ごされる日常は、破壊された世界が明確に意識されながら、しかし同時に我々の日常とよく似た喜びに満ち満ちているようにも感じられる。

 なぜこの「第三村」での生活が描かれなければならなかったか。それは碇シンジの再起、また『Q』で登場した綾波のドラマのため、はたまた旧友との再会のためという次元での解答もできるだろうが、より俯瞰的にみるならば、それは『新世紀エヴァンゲリオン』において、あるいは『新劇場版』において反復された問いに答えるためだろう。その問いとは、端的にいうならば「このわたしはなぜ生きるのか」という問いではないか。「命がけで戦いに挑むこと=エヴァに乗ること」をすなわち「生きること」の喩として見立てるならば、碇シンジが都度煩悶する「なぜエヴァに乗らなければならないか」という問いを、作りてにとっての、あるいは我々にとっての「なぜ生きるのか」と重なるものとして読むことは許されるだろう。

 この問いは『新劇場版』においてはっきり鮮明になっていて、端的に『序』では「自分にしかできない役割≒仕事だから」、『破』では「かけがえのないあなたを助けるため」、『Q』においては「破局をやり直すため」というロジックによって碇シンジを駆動させることによって、その都度答えてきた。

 それではこの『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』ではどのようなアンサーが与えられたか。この映画においては「なぜ生きるのか」という問いそのものをずらし、先行する『新劇場版』とは異なる答え、シリーズすべてを包括する落としどころが見出されている。『Q』から登場した綾波(仮称)は、第三村のなかで問う。命令もないのに、なぜ生きるのか、と。そしてそれに明確なアンサーは付与されないが、それでも彼女は生きる、生ききるのである。理由などいらない、快いからそうするのだといわんばかりに。

 また、かつて「なぜ乗らなければならないのか」とあれほど苦悶したエヴァンゲリオン初号機に、碇シンジは意外なほどスムーズに、自分の意思で、自身の選択によって乗り込む。彼の役目は、強力な敵を打倒することでは最早ない。彼は敵を打倒するためではなく、父と対話し、決着をつけるためにエヴァに乗り込む。ここに、「なぜ」生きるのかという煩悶はなく、理由もなしにすでに生きている我々が、「いかに」生きるのかという問いこそが前景化する。そして、否応なしに巻き込まれ生きる場所、その何処かに「居場所」があるはずだと問い返すのである。

 だからこそ、TV版から継続して登場する級友たちの「居場所」として第三村が登場せねばならなかったのであり、クライマックスに至る最終盤のシークエンスもまた、第三村の反復として、それぞれの登場人物たちが——『Air/まごころを、君に』のように一つに溶け合うという仕方ではなしに——ヴンダーという鉄火場で、あるいはマイナス宇宙の記憶のなかで「居場所」を見出す場面を執拗に繰り返すのである。予告編でも印象的に映された、日向マコト青葉シゲルグータッチの場面は、そのような意味で作品にとってなくてはならないものだった。

 碇ゲンドウ碇ユイの存在を見出すべきだったのは、奇々怪々な陰謀の果てではなかった。かたわらにいる自身の息子の面影のなかにこそ、彼女はまさに息づいているのだから。葛城ミサトは、『破』の結部における世界の破局の責任を自身が負うことを宣言し、ヴンダーと命運を共にする。そのように、登場人物たちの決着はそれぞれに極めてミニマルである。こうしたミニマルなかたちでの救済を反復したうえで、「すべてのエヴァンゲリオン」を消滅させることを選ぶ結末は、庵野秀明という作り手にとって、避けることのできない別れの儀式でもあったのだろうか。

 27年もの時間をともにしたキャラクターたちに、それぞれの居場所を与えること。自身の「子ども」を放り出すことはせず、みなしごとして生きる運命を避けがたく背負わせるにしても、せめてもの居場所を与えること。それが三度目のさよならで、この天才が辿り着いた結論なのかもしれない。それは疑いなく別れの所作であった。しかし、また、別れの言葉の響きに確かな祈りが込められていたことを我々は忘れてはならない。それは「また会うためのおまじない」なのだ。庵野秀明という作家と、あるいは魅力あふれるキャラクターたちと、我々はいつでもまた会えるし、時にその新たな相貌を——かつて語られた物語のなかにおいてなお——見出すことができる。我々の記憶、それもまた、年を重ねることの叶わないフィクションのなかの彼ら・彼女らの居場所なのだし、我々は各々の仕方で、その居場所を守っていけるはずなのだ。そのことの喜びをかみしめ、この完結を祝いたい。

 

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書ききれなかった諸々をだらだら書きました。

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 2020年代には、『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』があった、と後世の人はいうでしょう。

 10年代に、『Q』が、ゼロ年代に『破』があったのと同様に。

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 以下、蛇足。『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』の魅力はそのディテールにあることは疑いようがありませんが、そのことについて触れられず残念無念です。どれほどの引用をわたくしが見逃しているのかと考えると冷や汗ものですが、まあ、それはそれということで。

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 『シン』、大人たちがまっとうに仕事をするのでほんとうによかった。よかったです。

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 パンフレットの鶴巻監督インタビューによると、『シン・ゴジラ』を経由して実写的な方法論を持ち込んで制作したとか。画コンテにもとづいてプリヴィズをつくるのではなく、プリヴィズをつくってから画コンテに落とし込んでいく、というような感じだったと。

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Shiro SAGISU Music from“SHIN EVANGELION"

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  • アーティスト:鷺巣詩郎
  • 発売日: 2021/03/17
  • メディア: CD
 

 

 

 

【作品情報】

‣2021年

‣監督:庵野秀明(総監督)、鶴巻和哉中山勝一、前田真裕

‣原作:庵野秀明

‣脚本:庵野秀明

‣キャラクターデザイン原案:貞本義行本田雄

総作画監督錦織敦史

‣音楽:鷺巣詩郎

‣アニメーション制作:スタジオカラー

‣出演