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2020年の『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』、あるいは組織のディティールと葛藤

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 2009年にエヴァ破に熱狂したわたくしは、まさか2020年になっても新劇場版が完結していないとは想像もしていなかっただろう。あれから10年、想像もしていなかったことがいくつも起こり、そして我々は未だそうした事態の渦中にあるわけだけど、それによってこうして『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』を再び劇場でみる、という機会を得られたことには感謝するべきなのでしょう。

  『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』の公開は2007年。今まで自宅で何度も視聴しているけれど、劇場で見返す機会はなかったから、改めて音響すんばらしさにおののく。ネルフ職員たちの業務連絡が四方八方から聴こえてくるのは、それだけである種の快がある。ここらへんは官僚組織が組織としてうごめくことでドラマが進行してゆく『シン・ゴジラ』と響きあうところがあるかもしれない。ディティールとしての組織へのこだわり、というか。庵野秀明がしばしば言及する岡本喜八激動の昭和史 沖縄決戦』などとも通ずるかもしれない。

 そして『シン・ゴジラ』を経たいま見返すと、その組織なるもの、あるいは(卓越した)個人と組織との関係へのまなざしは、この13年のあいだに大きく変化したなと感じる。具体的には、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』を境にある種の切断線が走っている、という気がする。

 TVシリーズにおいても、あるいはこの『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』においても、ネルフという組織のなかで情報が伝達され、そのことによって組織があたかもある種の身体のごとく駆動して作戦が進行してゆく、というシークエンスがある種の小気味よさをまとって演出される。その演出に大きく寄与しているのが、上述の事務連絡の音響演出であることは確認するまでもないだろう。組織という運動体が駆動すること、それをディティールの積み重ねでスマートに演出する巧みさにかけて、庵野秀明という作家は卓越していると感じるし、また、そのような演出へのフェティシズムのようなものを感じさせもする。

 しかし、TVシリーズにおいては、結局のところ「ロボットアニメ」という形式の制約によるところが大きいだろうが、組織体の運動自体によって問題を解決する、という展開をほとんどとることがない。TVシリーズの序盤の山場であり、また『序』のクライマックスであるヤシマ作戦では、それにかかわる組織の構成員たちの姿は映し出されるが、結局のところ焦点化されるのは、碇シンジが引き金を引くそのモーメントであって、個人の葛藤が前景化して組織体の運動は後景に退く。『Air / まごころを、君に』においても、あらゆる組織体の奮闘むなしく世界の終わりがすべてを覆う。

 このあたりの組織の運動のむなしさは、先にあげた『沖縄決戦』とも共有する部分かもしれないが、個人の実存が強烈に焦点化される点に『エヴァ』の『エヴァ』たる所以もあるのだろうな、と感じる。この新劇場版においても、「なぜ我々は戦うのか?」あるいは「なぜ我々は生きるのか?」という問いがクリアになるように物語は再編成されていると感じるし、そうなると組織体はあくまで作品世界にある種のリアリティを付与するための装置以上のものでなくなりうる、という気もする。

 しかし、2012年に公開された『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』において、その傾向にやや変化が見られた、と感じる。それまで碇シンジら子どもたちをエヴァンゲリオンに乗せて最前線に送り出していた大人たちが、エヴァンゲリオン初号機をエンジンとする空中戦艦ヴンダーによって戦いはじめ、選ばれた個でなく、ともに責任を背負う大人たち=組織の存在感は、TVシリーズとはまったく異なる様相をみせはじめた。この延長線上に、国家という組織体がその総力を結集して危機と対峙する『シン・ゴジラ』があるのは言うまでもない。

 『シン・ゴジラ』において、「選ばれた個人」が問題解決のために要請されることはなかった。彼らはあくまで交換可能なパーツでしかなく、交換可能であるがゆえに強力な力をもつ存在だから。一方で、「運命を仕組まれた子どもたち」の物語である『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』において、『シン・ゴジラ』のように物語上の危機を処理するわけにはいくまい、と思う。それが不可能たればこそ、『シン・ゴジラ』において、ありえたかもしれない(が絶対にありえない)『エヴァ』への解答として、組織体の勝利が描かれたのかもしれない、とも思う。『エヴァ』はやはり、交換可能な大人たちの物語ではなく、どうしようもなくそれでしかありえない、交換不可能な「この」わたしの物語なのだから。

 「理由はないわ。ただ運命があなただったってだけ」と葛城ミサトはいった。個人と組織のとの葛藤のなかで、運命と対峙する子どもたちの結末が『シン・エヴァンゲリオン』で語られるだろう。大人たちが十全にその仕事を全うし、そして子どもたちに幾ばくかの幸福が訪れることを、いまは願うばかりである。

 

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シン・ゴジラ』の年に見返して書いた感想での見立てと、いまの見方はさほど変わってないな、と思う。

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