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発明の不発、あるいは呪い——『シン・仮面ライダー』感想

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 『シン・仮面ライダー』をみました。以下、感想。出演者等について触れています。

 無職の青年、本郷猛は、その頭脳と身体能力に目を付けられ、昆虫の能力を植え付けられた改造人間にされてしまう。改造を施した張本人である緑川博士に、その力を使って世界支配を目論む組織、SHOCKERと戦い、また娘を守ってほしいと託される。SHOCKERの刺客に命を奪われた博士の遺志を継ぎ、娘ルリ子とともに悪の組織打倒のため、本郷は駆ける。

 『新世紀エヴァンゲリオン』の庵野秀明による、特撮テレビドラマ『仮面ライダー』のリブート。『シン・ゴジラ』、『シン・ウルトラマン』と同様、庵野秀明という作家をかたちづくった思いれのある作品に、新たな命を吹き込もうという試み。前2作では「ゴジラ」、「ウルトラマン」というアイコンは共通するものの登場人物の名前は一新されていたが、この『シン・仮面ライダー』では本郷猛、一文字隼人をはじめとする『仮面ライダー』の主要人物の名をそのまま受け継いでいて、先行する2作品とはやや調子が異なる。

 それらの作品に出演していた竹野内豊斎藤工がサプライズで登場してドラマ上の役割を付与されていて(特に竹野内演じる政府の男は『シン』シリーズの結節点みたいな雰囲気もある)、ある種のパラレルワールド的な世界を構築する意図を感じさせる。とはいえ、長澤まさみの扱いとか、(『シン・ウルトラマン』から継続したキャラクター性を付与されている竹野内や斎藤とはちがって)明らかに別のキャラクターを演じている塚本晋也市川実日子がいるわけで、そのあたりはある種のファンサービスなのだろう。

 さて、巨大な生き物がモチーフであった『シン・ゴジラ』、『シン・ウルトラマン』に対して、この『シン・仮面ライダー』では人間スケールのアクションが求められる。巨大怪獣を国家規模で対処が必要な災害としてとらえ、それに対処する組織のアクションに焦点をあてた『シン・ゴジラ』は、そのことによって一つの発明を果たしたといっていい。この『シン・仮面ライダー』を現代的にリブートするならば、庵野秀明という作家が『シン・ゴジラ』で成し遂げたような発明を、ここで再びなんらかのかたちで成し遂げなければならないだろう。その発明がいかなるものなのか、それが『仮面ライダー』シリーズにまったく明るくないわたくしが『シン・仮面ライダー』を鑑賞しに出かけた大きな動機だった。

 結論からいって、この『シン・仮面ライダー』でのその発明の努力はうまくいっていなかったと思う。冒頭、カットを大胆に割り、仮面ライダーの異様な腕力によって破壊される人体、飛び散る鮮血を映していくシークエンスは率直にいって驚かされたし、また目まぐるしいカット割りでアクションの過程を省略し、「映したい画」の舞台まで跳躍していくのは、超人の超人性をエコノミックに描く手法として選び取られたのだと推察するが、ある種の味わいがそこにあったとは思う。

 一方で、超人同士の格闘戦をCGで描くシークエンスの低調ぶりはいかんともしがたく、とりわけ終盤ではモデリングの粗をみえにくくするためが暗いトンネルのなかでのバイクチェイス、格闘戦が演じられるわけだが、これは一昔前の水準であろうと感じないわけにはいかなかった。

 超人同士の格闘戦といえば、ルッソ兄弟による『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』が超人的な能力をもつキャラクターによる肉弾戦をリアリズムの地平に着地させるという恐るべき発明をしており、それがキャプテン・アメリカというキャラクター、ひいてはマーベル・シネマティック・ユニバースという巨大プロジェクトさえ救ってしまった大発明であったわけですが、それを経由してしまったわたくしたちは、おそらくその水準の発明がなければ、スクリーンのなかで生起することどもをごっこあそびの域を超えた「なにか」として感受することが難しくなっているのでは、という気がしてならないのだ。

 いくつかの浜辺のロケーションはすばらしい。浜辺美波の佇まいもかっこよかった。でも、このプロジェクトに期待していたのはそうしたこと以上の「なにか」であって、その発明が不発であったことを、いまはとても残念に思う。

 

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