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新しい朝陽を浴びて、輝けよ世界——『ぼっち・ざ・ろっく!』感想

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 『ぼっち・ざ・ろっく!』をみました。いいじゃないですか…。以下、感想。

 他者とのコミュニケーションが極めて不得手な少女、後藤ひとり。ちやほやされるためにと始めたギターはめきめき上達し、動画配信サイトで覆面ギタリスト「ギターヒーロー」として少なくない視聴者を得ていたが、現実では友人もなく孤独に高校生活を送っていたのだった。そんな折、偶然出会った少女に声をかけられ、臨時のギターとしてバンドに参加することとなる。それが、ひとりだった彼女の居場所になっていく。

 はまじあきによる同名漫画のアニメ化。監督は『ブギーポップは笑わない』や『Sonny Boy』で演出を務めた斎藤圭一郎で、これがTVアニメ初監督作となる。今年放映予定の『葬送のフリーレン』も監督するようで、この作品が出世作だったといっていいだろう。アニメーション制作はCloverWorks。ファジーな質感のキャラクターたちは実にキュートに動いてくれるのでうれしい。

 それでいて、キャラクターをスライムのように大胆にメタモルフォーゼさせたり、後藤ひとりの空転する内省が加速したパートにおける実写演出など、ある種の「いじり」のような演出は遊び心と自在感にあふれていて、単なるウェルメイドな萌えアニメではないぜ、という作り手の目くばせを感じる。

 そうした目くばせは無論のこと、後藤ひとりらのバンド「結束バンド」の楽曲にも及んでいて、バンドメンバーの苗字の参照先でもある初期のASIAN KUNG-FU GENERATIONへのオマージュを濃厚に感じさせるオープニングなど、平成後期のギターロックバンドのパスティーシュっぽい雰囲気がお見事。00年代から10年代にかけて、『けいおん!』や『BanG Dream!』などとの差分の一つはその点にあるだろう。

 先行する作品との比較でいえば、すこし変わった少女がバンド活動を通してかすかに変わっていく、という構図は『けいおん!』とこの『ぼっち・ざ・ろっく!』で共通しているが、感触は大きく異なる。『けいおん!』では、主人公の少女平沢唯は相当ぼんやりとした性格付けがされていたが、軽音部に入部するまで友人がまったくいないといいうわけではなかった。音楽をやっていなくても、彼女の幸福な人生の可能性は容易に想像できるのだ。その意味で、『けいおん!』においては世界はすでに十分に祝福されたものとして立ち現れていて、だからわたしたちはそこで営まれる日常を素朴に寿ぐことができた。

 一方で、後藤ひとりにとって、彼女を取り巻く世界は居心地の悪さをつねに感じさせるものである。世界のよるべなさはしばしば彼女を過剰な内省へと追い込むことになり、それが作中ではコメディタッチで処理されることで緩和されてはいるが、しかしそれは極めてシリアスな事態ととらえうるものだろう。そのような祝福をあらかじめ奪われた少女が、楽器の演奏を通じてどうにか世界との回路をかたちづくろうとするところに、この『ぼっち・ざ・ろっく!』のドラマの核心はある。

 原作が連載途中ということもあるだろうが、このアニメ版ではいくつかのターニングポイントは訪れはするものの、最終話にいたっても楽器屋の店員とうまくコミュニケーションがとれないさまが映し出され、単純な「成長」を読み込むことが拒否されている。その点、第1話の反復を通してゆるやかな日々の連続のなかで成長を遂げた少女を映してみせた『けいおん!』最終話とはコントラストをなしている、といいうる。

 しかしそれでも、祝福されない世界にあっても転がりながらもがく少女の姿は、確かにわたしたちを勇気づけるものだと思う。荒波にのまれてなんとか日常をやりすごすわたくしたちもまた、日々、新しい朝陽を浴びて、未知の相貌をみせる世界を歓迎してみせてもよい、と思えるくらいに。

 

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