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至近距離の喜劇、またはぎりぎりの幸運——『偶然と想像』感想

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 『偶然と想像』をみました。年に二度も濱口竜介監督の新作をみることのできる喜び!以下感想。

 タクシー車内の打ち明け話で、親しい友人の恋の相手がどうやらかつて自分が捨てた男であるらしいと気づいた女が、その男の職場に乗り込む「魔法(よりもっと不確か)」、不倫相手の男に唆され、大学教授にして新進の作家を罠にはめるために研究室に乗り込んで誘惑する女を描く「扉は開けたままで」、同窓会で帰省した翌日、かつての恋人に再会を果たしたと思った女がとんでもない事実に気付く「もう一度」の三篇からなるオムニバス。それぞれが偶然と想像という契機をドラマのなかに織り込んではいるが、共通する登場人物などはおらず、独立している。

 今年公開された濱口竜介監督の新作長編『ドライブ・マイ・カー』が、村上春樹の短編を原作としつつも強烈に脚色を施し、「濱口竜介による濱口竜介の再提示」とでもいうような趣であったが、むしろ濱口竜介の「らしさ」が鮮烈に発揮されているのはこの『偶然と想像』のほうだったかもしれない。村上春樹原作の『ドライブ・マイ・カー』よりも、この『偶然と想像』のほうが登場人物の語りはむしろ村上っぽい感じもする。

 登場人物はごく少なく、俳優もいわゆるスターが配役されているわけではない。ドラマも基本的に閉鎖された空間での会話によって進行するのだが、その「ふつうの人々」の会話によって立ち上がってゆく空間と時間は特異の一言。これは『ハッピーアワー』までの濱口竜介の真骨頂であり、そして東出昌大西島秀俊といった圧倒的な輝きをもつスターと仕事をすることによって、どうしても手放さざるをえなかったものなのだろうという気が強くする。

 この『偶然と想像』で驚いたのが、会話によって立ち上がる空間と時間が、時に笑いを喚起するようなコミカルな調子をところどころでまとっていたことで、ほとんど抜き身の刃物がちらついていたような『ハッピーアワー』のそれとはまったく違う手触りになっている。この短編で描かれた強烈な場面場面を集積し、同じ登場人物という文脈を付与することでおそらく『ハッピーアワー』の時間は成立しているのだと思うのだが、その文脈を外して、強烈な場面を至近距離でとらえるとき、それが悲劇的な調子をまというる場面であろうが、否応なしに喜劇として立ち上がってしまうのだ、ということを教えられた気がする。この笑いはコントのような調子ではあるが、北野武ソナチネ』の彼岸の笑いが映画的であるのとは別の仕方で、得難い映画的な笑いであった。

 三篇それぞれが心地よい、あるいは不穏な後味を残すが、とりわけ「もう一度」の我々の人生でぎりぎり起こりえてよいかな、と思える偶然の幸運はすばらしい。年末によい映画をみることができて、ほんとよかったです。