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灰色のかすかな希望——『ベイビー・ブローカー』感想

ベイビー・ブローカー (Korea Movie) OST アルバム [韓国盤] Broker 브로커

 『ベイビー・ブローカー』をみたので感想。

 韓国、現代。教会に設置されたベイビーボックスの前に、母親は赤ん坊をそっと置き、去る。教会のなかにいる怪しげな男と、その協力者であろう若い男は、監視カメラの履歴を消し、赤ん坊を持ち去る。赤ん坊を欲しがる夫婦に高額で売り渡すために。教会による人身売買を疑い、教会前に張り込んでいた二人の女性警官は、男二人を追う。やがて男たちのもとに赤ん坊の母親が同行するようになり、つかの間の旅が始まる。

 『海よりもまだ深く』、『万引き家族』の是枝裕和監督の最新作は、全編韓国語の韓国映画。主演に『パラサイト』など数多くの映画で主演を務めたソン・ガンホ、ブローカーを追う刑事に『リンダ、リンダ、リンダ』のペ・ドゥナなどなど、著名な俳優陣を揃え、しかし手触りはあきらかに是枝裕和のフィルムになっている。

 違法行為に手を染める、血縁によらない家族的な共同体が描かれる点で明らかに『万引き家族』と相似形だが、住宅を中心に物語が展開された『万引き家族』に対して、こちらは赤ん坊の売り手を求めて釜山を中心とする南部から、ソウルまでも旅する一種のロードムービーになっているところが大きく異なる。刑事に追われながらの旅、というシチュエーションにもかかわらず、ブローカー側に「追われている」という自覚が希薄なため、サスペンスフルな展開は禁欲され、中途で孤児院を抜け出した子どもが合流するといよいよ旅行めいた雰囲気が出てくる。

 くたびれたバンが朝鮮半島の田園地帯や海岸線を走る絵は、知っているようで知らない、見知った風景と似ているけれどもどこかちがう、そんな不思議な感覚を味わえる。昨年公開された濱口竜介監督による『ドライブ・マイ・カー』は、新型コロナウイルス感染症の世界的流行のために、韓国での大規模なロケをあきらめたということだったが、もしかして『ドライブ・マイ・カー』でもこうしたロケーションをカメラに映したかったのか、ということを思ったりした。

 旅の最中の自然な表情をうまく切り取ったかのように映し出すカメラは、これまでの是枝のフィルモグラフィの明らかな延長線上にある。これが、善とも悪とも割り切れない、灰色の雰囲気を登場人物に与える。ソン・ガンホの佇まいは、明らかな犯罪行為に手を染めつつも、子どもが海外に売られる可能性がちらつくと義憤を発露させる、自身のうちに固有の倫理感覚をもつ男に見事に説得性を与えているし、ソン・ガンホに協力するカン・ドンウォン、子どもを捨てる母親役のイ・ジウン、それぞれが単なる記号では割り切れない人間に実質を与えている。母親に捨てられた青年が、目の前にいるまさに子を捨てようとする母親を赦す観覧車のシーンは、この二人の力によって支えられてなんとか陳腐な幻想に転落せずにいる、恐るべきシーンだと思う。

 そんななかでも、とりわけすばらしい存在感を放っているのは、やはり刑事役のペ・ドゥナだろう。使命感に動かされる刑事のようであって、かつ夫との関係にどこかすわりの悪いものを覚えていそうな妻でもあり、そのような微妙な綾の積み重なりが、ブローカー一行と同じくらいに灰色の感じをキャラクターに付与する。

 『万引き家族』では「家族」的な共同体の灰色さに対して、「真っ白」とでもいうべきシステムの象徴として警官は描かれていたように思う。その白と黒とを峻別せずにはおかないシステムの指向に、灰色の幸福が奪い去られる、そのようなトーンが『万引き家族』の結末には感じられた。

 一方で、『ベイビー・ブローカー』ではシステムの担い手たる警官もまた「灰色」をまというる存在として立ち上げたがゆえに、結部もまた灰色の曖昧さが持続し、ぼんやりとした希望が残される展開になった、という気がするのだ。唐突にも思える結部のがちゃついた印象も、こうした希望をうそっぽさなしに描こうとする苦慮のあらわれではなかったか。

 希望に満ちているわけではない、しかしまったく希望が残っていないわけでもない。そのような世界のありかたを示してみせたこの映画のことが、わたくしは好きです。

 

 

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