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寂れた場所とほのかな救い――『海よりもまだ深く』感想

【映画パンフレット】 海よりもまだ深く

 

 公開からだいぶ経ってますが『海よりもまだ深く』をみました。映画館で樹木希林と同世代っぽいおじいちゃんおばあちゃんと一緒に笑って泣いてみたいな感じで非常に新鮮だったんですが、それ以上に心に響きました。強く強く勧めてくれたエルロイ&ブルー@ellroyandblueさんに感謝。以下感想。

  東京と埼玉の境界、清瀬駅に降り立つ、いかにもうだつのながらなそうな男。その男の名は篠田良多。かつて文学賞を獲得したこともある彼もいまや小説だけでは食っていけず、取材と称して興信所勤め、稼いだ金はギャンブルにつぎ込み、別れた妻に払う養育費も払えない始末。挙句の果てに年老いた母のへそくり、あるいは最近亡くなった父が遺したかもしれない金目の物を目当てに、団地に足を延ばすのである。

 そんな良多とその周辺の人々の日常の悲喜こもごもを描いたのが『海よりもまだ深く』なのだけれど、日常の風景として団地という空間が選ばれていて、その団地の周辺、具体的には西武線沿線のいまを切り取っているところが印象的でした。

 是枝監督の前作『海街diary』で舞台になっていた鎌倉と西武線沿線では、なんというか空間のもつ意味が180度違う、という感じがする。

 あくまでこれは観光客として鎌倉という場所を眺めているからかもしれないのだけれど、鎌倉という土地は、なんというか10年後も100年後も鎌倉であり続ける、そんな強度を持った場所なんじゃないか、という気がする。だからその鎌倉という場所を背景に撮られた『海街diary』は、同じような趣向の映画が10年後も撮られうる、という気がする。もちろん時代によって日常のディティールは移り行くのだし、それはもちろん内容に影響をあたえうるのだと思うのだけれど、それでもその移り行くディティールを制圧して画面を統御するだけの力が鎌倉という場所にある気がする、というか。

 一方、東京郊外の団地という空間を背景にした映画を10年後に撮ったとしたら、それは『海よりもまだ深く』とは全然趣向の違った映画になるんじゃなかろうか。かつて、もう半世紀近くも前には団地はある種の憧れをもって眺められた場所だった。今は画一的で味気なくみえるその建物たちが、先進的でモダンな住みかとして眺められたことが確かにあったのだ。しかし、やがて「団地の時代」は終わり「ニュータウン」に一戸建てをもつ夢が団地を一気に色あせさせてしまう。団地は世代交代に失敗し、子供世代が団地の外に出ていくことでもはやそこにはおおむね年老いた人々が残されるばかり。団地という空間の意味変容をざっくりとたどると概ねこのような感じだと思うのだけれど*1、そのようにして時代が移りゆくにつれ、団地という空間もその意味づけを変えてきたわけです。そんなわけで、『海よりもまだ深く』は、2016年のいまだからこそ撮れる、そしていましか撮ることのできない、団地を通して私たちの生きる「時代」を切り取った映画だと思うのです。

 その「時代」を切り取る、という点では、親しい間柄同士の会話とその空気感に異様なリアリティがあることも特筆すべき点だろうと思う。「あれ」・「あれする」を連発する語彙のビミョーに貧困な登場人物たちは創られた架空の人格というより、どこにでもいそうな雰囲気を滲ませているし、おばあちゃんが自分の期待通りに物事が運んだ時の喜びようと動作の笑っちゃうような機敏さときたらもうそれはそこらへんのおばあちゃんじゃないかと。美しくはないぐだぐだした日常って、意外に楽しいんじゃないかみたいなそういう異化効果があるんじゃないか。

  そういう「日常」そのものの退屈さとおかしさとが、たぶん一つの救いなんだろう、と思う。おそらくは団地という空間がかつての輝きを失っていったように、劇中の大人たちはかつて思い描いた夢をすり減らし、日々を生きていくしかない。夢見た通りには生きることはできなかったのだし、これからもそうなんだろう、と思う。「地方公務員になりたい」という堅実に思えた夢でさえ、それをかなえることがいかに困難なのか、ということを現在の良多は身に染みて理解しているはず。「海より深く人を好きになった」ことなどない、と自分の人生を振り返り、それでも楽しいといえる、それでいいんじゃないか。そんな語りに素朴にもぼくはなんとなく救われたという気がして、だからたまには台風もくるだろうけど、そしてそれは結構しんどかったりするのだろうけど、多分なんとかやっていけるんじゃないか、そんな気持ちになりました。そういうささやかな救いと団地の現在あるいは未来とが重なってやっぱりよい映画だなあとしみじみ思うわけです。はい。

 

 

海よりもまだ深く (幻冬舎文庫)

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歩いても、歩いても (幻冬舎文庫)

歩いても、歩いても (幻冬舎文庫)

 

 

  舞台になった旭ヶ丘団地も原武史『滝山コミューン1974』の滝山団地とおなじくらいの陸の孤島っぷりで、良多の幼少期と原のそれとを重ねたくなっちゃう。地理的にもそんな離れてないし。多分いや絶対全然的外れなんだけど。

滝山コミューン一九七四 (講談社文庫)

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【作品情報】

‣2016年/日本

‣監督:是枝裕和

‣脚本:是枝裕和

‣出演

*1:原武史『団地の空間政治学』とか。書くにあたって改めて参照とかしなかったのでもしかしたら事実誤認があるかもです。