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終わる儀式と終わらない過去——『対峙』感想

対峙の作品情報・あらすじ・キャスト - ぴあ映画

 『対峙』をみました。以下、感想。

 アメリカ合衆国、ある街の教会。その一室で、二組の夫婦が会話を始めようとしていた。四人のあいだには異様な緊張感がみなぎっている。どうやら旧知のようである。しかしそこには無防備な親しさは、無論ない。いまは遠く離れて生活を送っているようだが、再会を無条件に喜ぶ雰囲気はない。やがて我々は知ることになる。彼らの子どもたちがとある事件で命を落としたこと。そして、それぞれ加害者と被害者であったこと。この対峙は、いかなる結末を迎えるのか。

 高校でおこった銃乱射事件の加害者家族と被害者家族が面談する密室の会話劇。俳優としてキャリアを重ねてきたフラン・クランツの初監督作品で、脚本も自身でてがけている。会話のなかで次第に事件のありさま、加害者の来歴などなどが明らかになっていく。

 冒頭、会場をセッティングしている教会の職員の所作のやぼったさ、ありがた迷惑ぶりににやきもきさせられるが、その空転する気遣いこそ、この映画で生じる事態の予告ともいえる。家族同士の対話は、それぞれが相手方を十分に気遣って発話し、行動を心掛けているはずが、しかしそれが相手の神経を逆なでしてしまう、不幸だがありふれたコミュニケーションの失敗に彩られている。えもいわれぬ悲しみの発露としての涙は、しかし厚顔な居直りのように受け取られ、また誠実な説明は相手方の無理解をなじっているように響いてしまう。

 対話が始まってからは密室を出ることのないカメラが、それでも異様な緊張がみなぎる時間をとらえ続けるのは、表情や所作の細部ににじむいらだちが適切に切り取られているゆえだろう。この映画をみるという経験は絶えずそうしたストレスにさらされるということであり、それは強いプレッシャーであった。

 この永遠に継続するかに思えるディスコミュニケーションの時間にもいずれ終わりがくるのであり、だから映画もひとまず終わる。「赦し」の発話をもって。しかし対話にピリオドが打たれたあとも、言い残した言葉を伝えに母親は訪ねてくるし、闇に包まれたグラウンドは照明によって明るさを取り戻す。過去との対峙は終わらないし、それでも「終わった」ことにいったんはするしかないのだが、それでも「終わらなさ」は人間を苛むだろう。その苦しみと、浄化と、しかし浄化されきない何かの重みを受け渡された、そんな映画でした。

 しかし、これが「特定の事件をもとにしている」雰囲気がまったくないあたり、アメリカ合衆国銃社会の恐ろしさを強く感じた次第。たとえば過去との対峙という主題でいえば、『輪るピングドラム』は明白に特定の歴史的事件を想起させる。しかし、この映画はそうではない。それがアメリカというトポスの異様さなのは疑いないでしょう。