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我々の人生の顔——『ハッピーアワー』感想

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 濱口竜介監督『ハッピーアワー』をみていました。すごいすごいと聞いてはいましたが、いや、度肝を抜かれました。以下、感想。

  現代。日本。神戸。山の上に登ってゆくケーブルカー。四人の女。雨の中のピクニック。温泉旅行の約束。それぞれにほどけてゆく、四人の物語。

 濱口竜介の名を一躍知らしめた、異形の映画。出演者は演技経験のない人物で固められ、上映時間は5時間17分と、ほとんど常軌を逸した長大さ。その長さでありながら、かつ基本的には大きな事件は生じないというのに、緩やかに流れてゆく時間のなかで奇妙な緊張感が持続し、我々はスクリーンから目を離すことを到底許されぬ。

 まず魅力としてとにかく画がいい、これがほんとうに大きい。神戸の街中、とりわけ夜に歩く女たちをとらえたいくつかのロングショットなど超かっこよく、また電車や駅のホームの場面はもう全部すんばらしいと思う。

 俳優たちの演技の「こなれていなさ」みたいなものは随所に表出しているとも感じるが、それが映画の欠点にはなっていない。『寝ても覚めても』の演劇をめぐる議論の場面など、濱口竜介は険悪な雰囲気を演出させたらほとんどひとでなし的に巧いと感じるが、この『ハッピーアワー』ではもう次から次へとその手の場面が出てくるという感じ。しかもその険悪さは、俳優の「こなれていなさ」によっていやな感じの生々しさをまとっていて、それが映画自体の雰囲気も決定しているのかもしれない。

 その生々しさが、長大な時間の積み重ねのなかで、奇妙なドラマを成型してゆく。一歩間違えば荒唐無稽と誹りを受けうる事態がそこかしこで生じる。そうした荒唐無稽さにリアリティを付与しうる手段はいくつも考えられる。例えば『寝ても覚めても』においては、「同じ顔をした男」をトリガーに、物語が大きく飛躍する。「同じ顔をした男」は、いうなればフィクションのほうへとに穿たれた穴なのだ。この『ハッピーアワー』では、そのような仕掛けによって現実に穴をあけるのではなく、流れゆく時間のなかで、積み重なってゆく不穏な感覚のリアリティによって、その穴をこじあけてみせる。このようにして穴があくのを、わたくしはほとんど初めて目撃したという気がする。

 そのために決定的な役割を果たしたのは、あからさまに不穏な顔、ほとんど油断していたようにも感じられる生っぽい表情を画面に刻み付けたことだろう。この長大な時間のなかで、幾度となくそうした印象的な顔が切り取られている。

 そうした顔の一つ一つを、固有名と結びついたかたちで我々は知らない。『寝ても覚めても』の顔は、東出昌大、あるいは唐田えりか等々の固有名とわかちがたく結びついた顔である。一方『ハッピーアワー』は、キャスティングの戦略の時点で、映画の中の顔をそうした固有名と切断している。それによって、映画のなかの顔は、我々の人生のなかですれ違ったいくつもの顔と重なってゆく。あの顔は高校の友人の面影を宿しているような気がするし、あの顔は大学でよく見かけた顔と相似形だし...というふうに。

 それは虚心坦懐にスクリーンを見つめる経験と比して、弛緩した経験のありかたであるかもしれないが、少なくともわたくしにとって『ハッピーアワー』を眺める時間は、そのような仕方でわたくしの人生の顔の数々がぽつりぽつりと胸中に浮かんでは消えてゆくような経験としてあった。それはやはり、一つの魔術と詐術の駆動の結果なのだと思う。

 

 

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