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建築をつくるのは誰?――平松剛『光の教会―安藤忠雄の現場』感想

光の教会―安藤忠雄の現場

 

 平松剛『光の教会安藤忠雄の現場』を読んだので適当に感想を。

  建築家安藤忠雄の代表作の1つ、大阪府茨木市日本基督教団茨木春日丘教会、通称「光の教会」。本書はその教会が立てられるまでを追ったルポルタージュ。この本を手にとったのは、同著者『磯崎新の「都庁」―戦後日本最大のコンペ』がめちゃくちゃおもしろかったからなんですね。

 

 ブログの日付をみてみると約1年前なので、1年かかってようやく『光の教会』のほうに手を出すことができたようです。

  『磯崎新の「都庁」』は、都庁のコンペにおいて磯崎が師である丹下健三と争う、その師弟対決みたいなものを軸に、磯崎・丹下を中心とした人間群像が描かれていたように思う。その建築をめぐる対決、というモチーフは前著であるこの『光の教会』でも共通している。もちろん、『光の教会』はコンペなどなしで安藤忠雄に依頼されたものなので、その対決は建築家同士のものではない。その対決とは、設計する建築家と、それを実際に形にする工務店、そしてその建築に住まうことになる施主との三つ巴で戦われることになる。

 安藤忠雄という一人のアーティストは、建築という形で自分の理想を具現させようとする。しかしその理想が、「現場」で実際に作業を行う職人たちに十全に伝わるとは限らない。安藤の理想を実現するためには往々にして多大な労力と緻密な作業が必要になるうえ、そのこだわりは、職人たちにとってはどうしてそんなことにこだわるのか、と感じられることも少なくない。

 そうしてアーティストと「現場」が葛藤するわけだけれども、施主のほうも安藤の芸術家気質に振り回されるし、キリスト教について十分な理解があるわけではない安藤は、教会側の「常識」に幾度も渋い顔をすることになる。たとえばオルガンの設置云々とか。

 そんな感じでしばしば対立することはあっても、結局のところ三者が一致をみなければ建築は完成には至らないわけで、対決と協働とが反復されて「光の教会」は次第にその姿をあらわしていく。建築はただ単に建築家がつくるにあらず。設計する建築家、それを具現化する職人たち、そしてなにより、そこに住まう人々によって作り上げられるのだと。そしていったん建物が完成したとしても、それが終着点では決してなくて、日々の営みによって不断に作り上げられ続けるものでもあるのだ、と。

 

 『磯崎新の「都庁」』が図面の上での戦いだったのに対し、『光の教会』は副題にもあるように「現場」を描くことに大きな紙幅を割いていて、建築の「現場」で何が起こっているのか、ということが仔細にわかるのがおもしろい。コンクリート打ちっぱなしの建物は、意外なほど手間をかけないと美しくならないことなんかは正直驚きでした。この2冊は装丁も似ていて(版元は違うのに)、情報量の多さも共通しているのだけれど、それぞれが建築の別の側面を切り取っているという印象で違った読み味を感じました。

 著者はその「現場」の人々に、同時代のバブルに浮かれる人々とはまったく逆のエートス、つまり金銭ではなく職人の矜持みたいなものの結晶として「光の教会」を捉えている、と感じる。でもそれは工務店や設計事務所の無賃労働に下支えされてもいるわけで、かっこよくはあるんだけれども、ちょっとどうなのかなーと思わなくもない。そんなことはどうでもよくなるくらいに素晴らしいルポだとは思うんですけども。

 

 そんな感じで、今度関西に行く際には「光の教会」を見学したいなーと思いました、はい。

 

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