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映画やアニメ、本の感想。ネタバレが含まていることがあります。

ゴーストライターを創るのは誰か?-『ディア・ドクター』から考える

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 ここ数日、佐村河内守氏とそのゴーストライターにあたる人物の話題がテレビでもネットでも盛んに取り上げられている。僕はクラシック音楽にはあんまり興味がないので、佐村河内氏のことはこの騒動で初めて知った。だから別段意見を持っているわけではなかった。今日この日に、偶然『ディア・ドクター』を見るまでは。

 眠気もなかったのでHuluで前々からみようと思っていた『ディア・ドクター』を見始めたのだが、これがまさに「偽物」、すなわちゴーストライターに大きくかかわるお話だったのだ。せっかくなのでその感想をネタバレこみで以下に書き留めておこうと思う。

 嘘をつくことは悪なのか?-『ディア・ドクター』の問題提起

 『ディア・ドクター』のあらすじを簡単に説明しておこう。僻地で医師をしている伊野(笑福亭鶴瓶)が突然失踪したところから物語は始まる。失踪後と失踪前を行きつ戻りつしながら物語は進んでいくわけだが、その構成、展開が見事。『ゆれる』でも見せた見事な手腕を西川美和監督が発揮している。

 ところが中盤、ある衝撃的な事実が判明する。伊野は医師免許を持っていなかったのだ。製薬会社の営業にすぎなかった伊野が、医者になりすましていたのである。八千草薫演じる患者の診断をめぐって、良心の呵責に耐えきれなくなった伊野は失踪した、というのが事の真相であった。

 伊野の行為は違法行為であり、人命を扱う医師という職業に対する信頼を損ねるという観点からも到底許されるものではないだろう。しかし本作では、そうした許されざるものとして伊野を描かない。村の高齢者に真摯に接する伊野の姿を丁寧に描き、八千草演じる患者に対しても、その意思を尊重した処置を行なおうとしていることが強調される。彼の最後にたどりつく帰結からも、むしろ西川監督は伊野の、人を救いたいという意思を全面的に肯定しているように思える。嘘を吐いた理由を肯定することで、嘘という行為の持つ意味を問うこと。それが本作のテーマだと感じた。

 

なぜ伊野は「医師」足りえたか?―医師の権威と周囲の期待と相互作用

 以上が映画のテーマだと感じたわけだが、ここ数日のゴーストライター騒動と関連させてみると、また違ったものが見えてくる。それは、偽医者を医者たらしめたのは一体何なのか、ということである。それは、村人や看護師などの周囲の人間に他ならない。

 村人たちは、伊野を神の如くあがめたてまつる。その様子は執拗に描写される。伊野も熱心に診療するものだから、村人の信頼は絶大だ。その村人も、伊野が医師ではなかったことが判明すると、驚くほど簡単に手のひらを返す。「前から怪しいと思っていた」などと平気で口にする。このことからわかるのは、村人は伊野を信頼していたのではなく、「医師」という権威を信頼していたという事実である。

 医師という権威があればこそ村人は伊野に期待し、それゆえ伊野の行為は素晴らしいものであるという解釈がなされ、医師の権威はますます増大する。しかしその大本の医師の権威が喪失した瞬間、伊野の行為は何の価値もないものと再解釈される。

 

 このことをゴーストライターの問題に敷衍すると、なによりもまず、佐村河内守氏の持つなんらかの権威こそが、その価値の源泉だったということになるのではないだろうか。身体の障害というスティグマ、悲劇的なストーリーは、耳目を集めはしても権威とはなりえないだろう。多分一番大きな権威足りえたのは、NHKをはじめとするTV局が彼を大きく取り上げた事じゃなかろうか。結局なんだかんだいってTV局はまだその影響力を行使しているんじゃねーの、というのが今考えたことです。

 

 

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