『TAR/ター』をみました。映画をみたな、という気分になるすばらしい時間でした。以下感想。
クラシック音楽の世界で、これ以上ない名声を得ているように思われる女性指揮者、リディア・ター。レナード・バーンスタインに師事し、アメリカの五大オーケストラを渡り歩いた後ベルリンフィルで指揮者となり、レズビアンであることをカミングアウトしてヴァイオリニストのパートナーと子どもと一緒に暮らしていた。同業者からも深い敬意をもって遇され、権威の絶頂にあるかと思われた彼女だったが、ある告発が彼女の運命を一変させる。
『イン・ザ・ベッドルーム』、『リトル・チルドレン』のトッド・フィールド監督による、女性指揮者の転落劇。リディア・ターを演じるのはケイト・ブランシェットで、自身の権威と能力に一片の疑いもないような堂々たる雰囲気は見事というほかなく、いくつかの映画賞で高く評価されたのも納得。およそ3時間という長尺でありながら緊張感を失わないのは、ひとえに彼女の存在感あってのことだろう。
物語の構造はかなりシンプルで、指揮者とは「時」を自在にコントロールする存在なのだ、というター自身が語った格率が映画全体を規定している。すなわち、まわりの「時」を思うままにコントロールできる、神のごとき存在だったターが、さまざまな要因から次第に「時」をコントロールできなくなることで精神の平衡を失調し、権威を剝落させてゆく…という構造になっている*1。
冒頭の航空機の時間をめぐるやりとりなどに表れているが、彼女の権威は時の管理の権限としてしばしばあらわれる。しかし仕事用のアパートの隣人など、彼女の「時」の管理を妨害する闖入者がしばしば画面にあらわれ、アシスタントの失踪を大きなターニングポイントとして、彼女の時はめちゃくちゃになっていく。愛情をそそいでいる子どもすら、寝かしつけのために彼女を拘束する障害として立ち現れたりする。そして結部においては、フィリピンでゲーム音楽(どうやら『モンスターハンター』のようだ)の指揮者として、映像にあわせた指揮、すなわち時を完全に支配された指揮を要請されるさまが映し出されてお話は終わる。
ハラスメントの告発をめぐるドラマはいかにも現代的で、どうしたって同時代の出来事を想起せずにはいられないのだが、しかしこの映画の登場人物たちはどうにも善と悪とはっきり峻別されることを拒否するような造形になっていて、それがこの映画の魅力だろうとも思う。告発のある部分の正当性——就職を妨害していたことは事実だろうが、ほんとうにターは性的関係を強要していたか?「情緒不安定」は少なくとも虚偽ではないのではないか?自殺した若手指揮者はゆすりのようなことをやっていたのではないか?——は映画内では担保されないし、パートナーとの情緒的なつながりはそのなかに打算的な側面を含みこんでいたりする。ターと助手との関係もそうだろう。そのあたりのバランス感覚が、流行りの風潮をモチーフにした軽薄さを感じさせない普遍性にこの映画をひらいている、と思う。
このサントラのジャケット、あまりに意地悪度が高い!
*1:このあたりの指摘は北村紗枝さんの整理がとてもクリアでした