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映画の起源、映画の先端——『NOPE/ノープ』感想

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 『NOPE/ノープ』をみました。既にでかいスクリーンからは遠ざけられていて悲しみが発生したのですが、いやはや、こいつはIMAXでみたかったぜ。以下、感想。

 謎の落下物が直撃し急死した父の後を継ぎ、牧場を営む男。一族の先祖をたどれば、黎明期の映画の記憶にすら辿りつく歴史ある牧場だったが、いまはハリウッドでの仕事からも遠ざかり、愛馬を近隣の小規模な西部劇テーマパークに質に入れ、存続の危機にあった。そんな折、牧場の馬たちが怯えからか牧場から脱走したり、突然停電が発生したりするようになり、未確認飛行物体のようなものすら視界に入るようになる。男とその妹は、それをカメラに収めて一攫千金を狙おうと画策するが、しかしその異常な事態を引きおこす「なにか」は、想像だにしない事態を生じさせはじめる——

 『ゲット・アウト』、『アス』のジョーダン・ピール監督の最新作は、撮影監督にホイテ・ヴァン・ホイテマを招聘し、未確認飛行物体の恐怖、そして対決を描く。主演は『ゲット・アウト』と同じくダニエル・カルーヤ。予告編ではその姿を現さなかった「なにか」は、本編では惜しげもなくその姿をさらす。そうしてなお、「謎の存在」が陳腐化せず、未確認飛行物体の謎めいた恐ろしさ、ある種の神秘性と骨がらみになった嫌な感触は拭い去られないのだから、その点でこの映画は成功していると感じる。

 ジョーダン・ピール監督は『新世紀エヴァンゲリオン』のフリークである旨をどこかのインタビューで語っていたようだが、たしかに未確認飛行物体の造形はどこか同作の「使徒」めいていて、エヴァもNERVも抜きで普通の人々が「使徒」と戦う、そんな映画のようにも感じられておもしろかった。

 前作、前々作がアメリカ合衆国における人種問題を背景にした社会派ホラー的な味わいだったのに対し、この『NOPE』はかなり直截的に「映画についての映画」であろうとしている(無論、その中に自身のアイデンティティと密接に絡む人種の問題に対する目配せはあるけれど)。そのような映画について仕掛けを語ることは、屋上屋を架すような気恥しさもあるけれど、まあ感想だし、恥知らずにも書いておこう。

 主人公たち兄妹は、エドワード・マイブリッジによって撮影された馬の連続写真―—エジソンに霊感を与えたこの連続写真は、いわば「映画の起源」として作中で措定される——の馬の乗り手の子孫であることが作中で示される。しかし、現在では父の急死もあって映画の現場からは遠ざけられ、牧場経営もうまくいっているとは言い難い。その意味で彼と彼女は、忘れ去られ抹消された映画の起源を背負って画面に現れる。

 彼と彼女がどのようにして未確認飛行物体と対峙するかといえば、それは「撮影すること」によってである。それは未確認飛行物体を手なずけ見世物にしようとした、テーマパークの主のありようと対比的に示されるものでもある。スティーヴン・ユァン演じるその男もまた、映画的なるものの一側面―—その変種ともいいうるだろうテレビバラエティの象徴として画面にあらわれている。残虐性を発露させたチンパンジーと、つかのま交感したかもしれない可能性にとらわれたこの男は、あらゆるものを飼いならし見世物にできるというと信じているようにもみえる。しかしそれは、人ではないなにかが気まぐれに発露した残虐性によって裏切られる運命にあり、そうしてテレビバラエティで殺戮を繰り広げたチンパンジーの反復として、「なにか」が男の人生を容赦なく終わらせるのである。

 「撮影すること」は対象を見世物にする途を開いてしまうが、しかし兄妹はあくまで、コントロールがきかない恐るべき他者として「なにか」をとらえ続ける。そして映画の起源たる連続写真を、苦闘の果てになんとか生成するのだ。しかし同時に、兄妹たちとは別のところで、おそらくもっと精緻な形で未確認飛行物体の映像を記録しえたものたちがいたことをこの映画は示唆する。映画の起源を背負ったこの二人はつかのま映画の先端に立ったかにみえたが、しかしそれはすぐさま簒奪される運命にあるというのだ。

 それでも、兄妹たちは自身の勝利を誇るだろう。こうして容易に簒奪されてしまう達成こそが、むしろ簒奪されてしまうがゆえに歴史をかたちづくってゆくのだから。そのようにして映画の歴史を背負って、新たな足跡を刻もうとする気概のみなぎるこの映画の志を、わたくしはめちゃくちゃ高く買いたい。