宇宙、日本、練馬

映画やアニメ、本の感想。ネタバレが含まていることがあります。

キッチュとゼロ年代の記憶——『ブレット・トレイン』感想

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 『ブレット・トレイン』をみました。ブラピがこういう映画に出てくれるの、うれしい!以下、感想。

 仕事のたびに何故かまわりに不幸な出来事が巻き起こる裏稼業の男、レディバグ。体調不良でドタキャンした男に代わって彼が引受けたのは、日本を横断する弾丸列車に忍び込み、ある荷物を盗み出すこと。それは殺しも暴力も必要としない、ごく簡単な仕事のはずだった。しかし彼の悪運は列車にさまざまな殺し屋を招き寄せ、それぞれの思惑が錯綜する地獄の旅路が始まることになる。

 伊坂幸太郎の小説『マリアビートル』を、『デッドプール』のデヴィッド・リーチ監督が映画化。ブラッド・ピットが運のない仕事人を演じ、アーロン・テイラー・ジョンソンや真田広之らが花を添える。映画化にあたって登場人物は多国籍になったが、舞台は日本の新幹線のまま。冒頭の『ブレード・ランナー』ばりにネオンきらめく東京駅からしてもう容易に理解できるように、イメージと思い込みでつくられたキッチュな日本描写はこの映画の味になっている。

 たとえば日本を舞台にした『ウルヴァリン:SAMURAI』は都内各所や鞆の浦などでロケを行って、それら実際の日本の風景のコラージュを下敷きにヤクザ、ニンジャ、サムライがデンシャとかで跋扈していたが、基本的に列車内で物語が進行する『ブレット・トレイン』はおそらくロケはしていないだろうし、そのあたりで同じキッチュな日本でも味わいが異なる。しかしTwitter上で指摘されている米原駅だけ異様に再現度が高いのは、そこで乗車してくる真田広之への配慮だろうか。それもまた味。

 伊坂幸太郎という作家のある種の作品は、クエンティン・タランティーノガイ・リッチーなどを意識したであろうクライム群像劇だが、それをこういうキッチュな装いで映画化すると、むしろ同じくタランティーノ的な作風でキャラクター小説を執筆している成田良悟の作品世界に接近したなという感じがする。『マリアビートル』の前作『グラスホッパー』の出版が2004年、成田良悟の『バッカーノ! 1931 鈍行編/特急編』が2003年だから、同時代に別の場所で書いていた二人の同時代性がなんとなく露出したような感じがあってそこもおもしろい。『バッカーノ! 1931』もまた列車を舞台にして夜明けに物語が終わるから、その意味でこの『ブレット・トレイン』と結構重なるしね。まさか成田良悟を作り手が参照しているということはないんじゃないかと思うのだけれど、不意にゼロ年代の風景―—それもこれまで必ずしも日が当たらなかった風景の一部が現れた、という気がするのよな。

 タランティーノ風のだべりがうまくいっていない(これは伊坂の原作がおそらくうまくいってないんだろう)し、だらっとした時間が流れる映画ではあるのだけれど、描写の積み重ねを最後にむりくり束ねていって大きな絵を描いたことにする手際は、原作のよさをきちんと誠実にやったろうという感じもしてよかった。真田広之の大活躍も、『エンドゲーム』の仇はこうしてとっちゃるという気概を感じますね。とってつけたような教訓とか抜きに、こういう馬鹿馬鹿しい出来事の連鎖を楽しむ、そのありがたみを改めて感じました。みなさんもみるといいよ。

 

バッカーノ!』のアニメ化、つくづく理想にちかいアニメ化だったと今さらながら思います。